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なにかあり/とくになし

「みんなのプロレス」

買いそびれていた
斎藤文彦「みんなのプロレス」(ミシマ社)を
ふとしたはずみで思い出し、
夜中にアマ●ンで注文したら
その日の午後(つまり今日)手元に届いた。


ィヤんなるね、速すぎて。
洟噛むヒマもないね。


宅配の兄ちゃんに
思わず落語家風に話しかけたくなってしまう。
それくらい速い。


このあまりに機械的でイヤな感じを
イヤだと直感的に思うところは大いにあるが、
それはまずさておく。


斎藤さんの本のことを書きたい。
斎藤さんの本をもっと早くに読んでおくべきだった。


斎藤さんは
一般的に言えばスポーツライター
それもプロレスに特化したライターということになるのだが、
その文章は
速報的、記事的なものではまったくない。


しいて言えば、コラムかエッセイということになるのだが、
コラムというほどあっさりしていないし、
エッセイというほど気取りすぎてもない。


愛情にあふれているのだが、
どろっと生々しいわけでも
過剰にロマンチストなわけでもなく、
その立ち位置が何となくアメリカンなのだ。


ぼくが昔から読んでいたのは
週刊プロレス」に毎週欠かさず連載されている
「ボーイズはボーイズ」という1ページ・コラム。


斎藤さんが出会ったレスラーたちの
限りなく素の表情を
自分を反射板にしながら巧みに照らし出す。


文章はすごくうまくて、
英語力もある(アメリカ生活の経験がある)。
だから、外人レスラーの話がずば抜けておもしろくなる。
日本語になりにくい言い回しのニュアンスや感覚的な違いを理解し
違和感なく日本人に伝える術を持っているのだ。


その独特のならわしや
話法、文法の理解は
日本人レスラーに対しても同様だ。


絶妙な距離を取りながら相手を観察し、
相手が表現しようとしているものではない表現を
見つけ出す名人。


ぼくが熱心に「週刊プロレス」を読んでいたのは十年ほど前。
本書はぼくが「週プロ」を読むのをやめたあとに書かれた文章から
主として抜粋されている。
もちろん過去に読んだものもあるが、
もう最初から引き込まれてしまった。


「いちばんたいせつなのはシェアすることです。
 それは、プロレスはだれのものでもなく、
 みんなのものだからです」


 序文より。


だから本の名前は
「みんなのプロレス」。


ただのんきに理想論をかざしているわけではなく、
プロレスに生きるひとびとに光を当てながら
その影のかたちもきちんと見つめることを
斎藤さんはおろそかにしていない。


そのことこそが
ひとつのトピックという以上の
ひろがりやつながりを持つと
きっとこのひとは信じているのだ。


だから斎藤さんは信頼できる。


問題そのもの、
あるいは問題意識というハンガーにぶらさがって、
さも意味ありげなことを言っているつもりの連中よりも
はるかにずっと。


音楽の世界にも
「みんなのプロレス」があればいい。