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なにかあり/とくになし

それはもうどうしようもなく寺尾さん

いくつかの偶然と
ありがたいご厚意が重なって
夜7時には
代官山のライヴハウスにいた。


寺尾紗穂さんの出演を見て
8時半にはハイファイに戻る約束だった。


このライヴハウスでは
ドリンクチケットの替わりに白い小石をくれる。
ツードリンクということで
小石は2個だ。


一杯ビールでもと思ったのだが、
ドリンクカウンターには長い行列が。


ささやかな欲望にあきらめをつけ
うしろの方に腰掛けた。


寺尾紗穂さんは
舞台の奥からあらわれ、
何となく所在なげにグランドピアノの脇におさまると、
「夕まぐれ」を歌いかけて、
不意に歌うのをやめた。


そして、
どなたか鉛筆のようなものを持っていませんかと呼びかけた。


歌詞を書き留めたものなのか、
ピアノの譜面置きに立てかけた手帖のページが
空調の風でひらひらとめくれてしまうので
文鎮替わりに使おうとしたのだ。


客席のうしろから
「今持って行きます」と大きな声がして
鉛筆の到着を待って
ふたたび「夕まぐれ」は始まった。


寺尾さんの歌とピアノと
しんとした客席と
厨房からの遠慮がちな物音が
ぼくの座った場所では
全部が一緒になる。


ニーナ・シモン
若いころにコーヒーハウスで歌ったライヴ盤が好きで
わけもなくよく聴いていた時期があった。


テーブルで談笑する男女の声、
カップやスプーンががちゃがちゃと触れ合う音が
普通よりずっと大きめに入ったそのレコードは、
音楽は演者だけのものではなく
空間や空気もその一部なのだということを教えてくれる。


ときどき
ぼくは耳をダンボのように大きくして
シモンの歌ではなく
客席のおしゃべりを聴き取ろうとした。


そのたあいのない空気の中に
何か逃してはいけない大切なものがある気がして。


妄想に入りかけたぼくを
肩口をぎゅっとつかむようにして現実に引き戻したのは
寺尾さんが「カヴァーを一曲」と紹介した
サケロックではなく
歌詞のついた星野源ソロ・ヴァージョンの「選手」だった。


コードを間違えたかもしれないと
何度もソラで練習を繰り返す姿を
臆面もなくぼくたちに見せる寺尾さんは
とまどいながらも
とても頑固で
それはもうどうしようもなく寺尾さんなのだと思えた。


出演を見届けると
ハイファイに戻るべく
失礼ながら中座させていただいた。


地下2階から階段を上がりながら
結局ドリンクを飲み忘れたことに気がついた。


ポケットの中で
2個の小石を摺り合わせると
かりっともごりっともつかぬ音がした。