mrbq

なにかあり/とくになし

泣き虫ドゥイージル

昼から夕にかけ、
打ち合わせ2件。


その後、
ザッパ・プレイズ・ザッパ@渋谷O-East


実は新装O-East(旧ON AIR EAST)に入るのは
初めて。
以前よりずいぶんとこじんまりしていたが
満員御礼というところか。


ザッパの息子ドゥイージルにとって、
父フランクの遺した音楽的遺産は
一生かかっても乗り越えるのが難しい高すぎる壁だし、
熟練のマニアたちが
難癖をつけようと思えばいくらでも出来るのだろうが、
客席を支配していたムードは
「お父さんの音楽を選んでくれてありがとう(大変だろうに)」という
あたたかい謝意に尽きる。


ザッパ・プレイズ・ザッパは
今年のグラミー賞
最優秀ロック・インストゥルメンタル・パフォーマンス部門を
「ピーチズ・エン・レガリア」で受賞した。


そのセレモニーは
世界で大々的に放映されるテレビ向け授賞式の前に
隣接したコンヴェンション・センターで昼間に行われる
いわゆる“プレキャスト(放送前)”の終盤だった。


受賞式にザッパ一族が来ていたこともおどろきだったが、
もっとおどろいたというか
感動させられたのは
壇上でドゥイージルが行ったスピーチ。


バンド、家族、
そして亡き偉大な、偉大すぎる父に謝辞を送りながら
彼は感極まってぼろぼろと泣き出してしまったのだ。


「父が40年前につくった「ピーチズ・エン・レガリア」は
 これから生まれてくるぼくに捧げられた曲だったんだ」


アルバム「ホット・ラッツ」がレコーディングされていたのは
ドゥイージルの母が臨月だったとき。
69年9月に彼が生まれ、
69年10月にアルバムは発売になった。


思いがけないメモリアルに
直接居合わせることが出来て
しあわせな気分になった。


この場面は
今年のグラミーの、
全受賞セレモニーを通じても、
もっともエモーショナルな瞬間として
英字メディアでは報道されていた。


その模様はこちらでも確認出来る。


泣き虫ドゥイージル(もちろん、もう泣かない)。
ぼくとほぼ同い年。
きみのことが嫌いになれそうもない。


佐藤秀峰ブログで得た収穫のひとつ。
奥様も漫画家だった。
早速、佐藤智美「ムショ医」1巻(芳文社コミックス)を買う。


いや、この夫にしてこのツマあり。
おもしろいです。


週刊文春」最新号、
堀井憲一郎ホリイのずんずん調査」にて。


雑誌としては最小のフォントで書かれた
本文最下段の質問
「新聞が生き残るためには何が必要だと思いますか」への
堀井さんの回答に
しばらく忘れられそうもないほど心を削られた。