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なにかあり/とくになし

カウンターのトラウマ

茶店のカウンターには
ちょっとだけトラウマがある。


昔、
高円寺の喫茶店
3年ほど働いていた。


お店にはカウンターもあったのだが、
毎日の仕込みの材料などが常に山積みになっていたこともあり、
よっぽど混雑しない限りは
そこをお客さんに開放することはなかった。


まだぼくが働きはじめて間もないころ、
たまたまカウンターにぽっかりスペースが出来て、
その不意を突くようにして
女性のお客さんが
ぼくの対面に腰掛けてしまったことがあった。


長い髪をひっつめにしてうしろで結んだ
まじめそうな顔の女性で
当時のぼくよりも齢はいくらか上に見えた。


コーヒーに口をつけ、
少し煙草を吸い、
少しもじもじとしながら
しずかに店内を見渡している。


そのうち
意を決したように
女性が口をひらいた。


「あのぉ、
 ちょっとグチを聞いてもらえませんかね……」


予想外の展開に
しゃかしゃかと洗いものをしていた手が止まってしまった。


厨房担当の先輩に助けを求めようとしたが
ランチのスパゲティを2人前作るのに忙しそうだ。


まいったな、
ドラマみたいな話って本当にあるものだなと思いつつ、
ぼくの口から出て来た答えはこれ。


「いや……、
 グチは困ります……」


女性はハッとした顔をして
「そうですよね……」と
再びコーヒーに口をつけた。


やがて
来たときと同じように
少しもじもじしとして
店内を見回しながら女性は帰って行った。


接客業の経験の浅さから
彼女の不愉快な思いをさせてしまったのではないかと
ため息をついていたら、
横で先輩が懸命に笑いをこらえていた。


「いやー、いきなりグチは困るよね〜。
 あのひと、最初にグチって言わなきゃよかったのにね〜」


そのひとことで
何となく救われた気がしたが、
あのとき少しでもグチを聞いてあげればよかったのかなと
今でもときどき思い出す。


そのせいで
茶店のカウンターに座ると
ほんのちょっとだけ
うわの空になる自分が
いまだにいるのだ。