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なにかあり/とくになし

1990年の暮れ、高円寺で

1990年の暮れ。
高円寺と中野の間にあった小さなアパートに集まって
ささやかな忘年会が開かれた。


この年の春、
ぼくはアルバイトしていたレコード屋をやめ、
大胆にもまったく未経験の
茶店で働くようになっていた。


店の名は「珈琲亭 七つ森」といった。
今も同じ場所で営業している
高円寺名物の店。


どういうめぐりあわせか、
当時はスタッフは全員男性で
ロック好き。
ロック喫茶でもないのに
それぞれが家からレコードを持ち込んでは
勤務中にかけていた。


年齢はだいたい20代前半。
世代が似通っていたこともあって、
それとなく打ち解けるのに時間はあまりかからなかった。


なにしろみんな貧乏だったから、
その日の忘年会も
居酒屋に行くよりも安上がりだという理由で
誰かのアパートでやることになったのだと思っていた。


確か日曜日の夜だった。


突然、
誰かが「あ、“4チャン”点けなきゃ」と言った。
「そうだそうだ、そんな時間だ」と別の誰かも続いた。


はて?
宴会の途中にテレビとは?


彼らが見逃したくなかったその番組とは
全日本プロレス中継」だった。
そして居酒屋での宴会を避けた理由も
実はこの番組を見るためなのだった。


ぼくは中学、高校とプロレス好きだったが、
典型的な猪木かぶれであり、馬場差別主義者だった。
80年代という時代を考えると
それは当然のなりゆき。
猪木の目指す理想、やっていることは過激に映り、
馬場のプロレスは、それとは異質のヤワなものに思えた。
それがトレンドだったのだ。


だが、
大学入学を契機に
現実の生活で起こる変化の方が刺激的で、
プロレスからは何となく離れてしまっていた。
あれほど愛読していた「週刊プロレス」も読まなくなっていた。


だから、
七つ森」の同僚であり、
言動も、音楽の趣味も、ファッションのセンスも
一目置く存在だった彼らが
そんなオールドファッションなことを言い出すのが
とても不思議だった。


「今、熱いのはミサワなんだ」


ミサワという選手は
こないだまで二代目のタイガーマスクをやっていた男だ。
全日本プロレスから
選手が大量離脱するという事件があり、
居残った側であるタイガーマスク
その混乱の中、マスクを脱いで
素顔のミサワミツハルになったのだ。
それくらいはぼくでも知っていた。


そのミサワ選手が
カワダ選手やコバシ選手といった若手と共闘して
今、ぐんぐんと伸びているのだと彼らは力説してくれた。


日本テレビのスポーツ・テーマが流れて
全日本プロレス中継」が始まった。


ぼくたちは
しばらく黙ったまま
テレビ画面に見入っていた。


魅せられていた、
という表現の方が正しかったかもしれない。


いい加減に酔っぱらいながら
ぼくは三沢光晴にプロレスの洗礼を受けた。


あのとき
あの場所で
あんなテレビなんか見ていなければ
今日こうしてせつない気持ちでいなくてもよかったのに。


この何年かは、
またしばらく関心を失っていたかもしれない。
少なくとも生観戦のために最後に会場に足を運んでからは
もう数年が経つ。


突然の訃報には
言葉もない。
ぼくに言うべき言葉なんかない。