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なにかあり/とくになし

乾いた魂を持つ女子たち

のんべーず、という名前は
何かの冗談だと思った。


富山県高岡市から届いた
誰も知らない女子バンドの音楽。


耳元でささやく声がして振り返ったら
そこには誰もいなくて
一枚のCDがあった。


誰それに似てるねとか
ノラとかジョニとか
たとえようと思えば何かにかこつけることは可能だ。


だが、
それだけだと
このささやかな奇跡の説明にならない。


北陸の地方都市で
それぞれ別々に育ち働いていた女性たちが
ギター教室の“初心者コース”で出会って、
練習の成果としてオリジナル曲を歌い始めた。


そこから、まだ2年足らずなのだという。


作詞作曲と歌を担当する
事実上のリーダーであるemiさんは
英語の先生をされているかたわらで
ギター教室で薦められて作曲を始めたらしいのだが、
ただそれだけのことで
こんな音楽を産み出してしまえるのだろうか。


東京にある無数のライヴハウス
日夜オリジナリティについて四苦八苦しているミュージシャンたちは
きっと頭を抱えてしまうだろう。


たぶん、
そんなに世の中に多くは存在しない
触れると空気を変える声なのだと思う。


ただし、
彼女たちに成功への野心を求めるのは
明らかにおかど違いなのかもしれない。


今日、
のんべーずの、はじめての東京でのライヴを
小さなライヴカフェで見た。


遅れていったぼくは
彼女たちのライヴを斜めうしろから見ることになった。


emiさんが歌うことで立ち上る空気が
なにか圧倒的な可能性を持っていることは
ぼくにだってわかる。
だが、
ゆったりゆらゆらと
しろうとくさく揺れている4人の女の子のうしろ姿にも
捨てがたさはある。


それはローカルということか。
それともアマチュアということか。
人間くささということなのか。


だれひとりとして
音楽で生きていきたいという希望も野心もない。
そのかわり
音楽を生きている。


“で”でなくて“を”か。


こういうことを考え出すと
頭の中にぶすぶすとけむりが立ち始めてどうもいけない。


もともと彼女たちのグループ名は
アルバム・タイトルにもなった「tHirsty sOulz」になるはずだったらしい。


それではみんなに意味がわからんだろうというような理由で
じゃあメンバー全員よく酒を飲むので「のんべーず」で、と
電撃的に変更されたらしい。


そんなバカな。
「乾いた魂」の日本語訳として「のんべーず」は
まったく正しくない。


しかし、
「乾いた魂」を持つ者のことを、
あえて「のんべーず」と呼ぶのなら
それはきっと文学なのだと思う。


うれしさとか切なさとか愛おしさを求める魂を
音楽という酒が満たすのだとしたら
のんべーず、
その名は見事に“あり”だろう。


来年からemiさんはソロも始める予定だと聞いた。
新曲も結構出来てきているらしい。


どうぞいつでも
不意を突いてください。