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なにかあり/とくになし

たぶん正しくないロンサム・ストリングスの見方

家を出た瞬間、
目の前に蜘蛛が一匹いる。


正確に言うと
我がアパートの入り口の前には
横に長い渡り廊下があり、
渡り廊下を隔てた先の植え込みに蜘蛛はいるのだ。


植え込みと2階部分のせりだしの間に
無数の蜘蛛の糸を張り巡らせ
細い手足を伸ばして
蜘蛛はいる。


それほど大きなものではない。
大きかったら困る。
大きい蜘蛛は苦手だ。


かれこれ
ここに居座って
ひと月ほどになるだろうか。


蜘蛛の巣が張っているアパートなんて
さぞかしみすぼらしいイメージかもしれないが、
この蜘蛛の生命力たるやなかなか立派で
雨の日も風の日もあったのに
彼の家をしぶとく守り抜いている。


蜘蛛の巣の中心から
少し離れたところになにやら目に見えるつぶつぶがあり、
どうやらそれは食料であるらしい。


ぼくが出かける時分には
いつも静止しているのだが、
獲物が網にかかるのを待って
人知れずうねうねとうごめいているときもあるのだろう。


それはやっぱり
闇の中なのだろうか。


今夜は
ロンサム・ストリングスのライヴを
吉祥寺のMANDA-LA2で見た。
ゲストは中村まり
彼女が生で歌うのを見るのは初めてだ。


各種のギター、大きなウッドベースバンジョー……、
風貌穏やかならぬ4人の男たちは
アンプリファイドされた弦楽器を黙々と
さすり、はじき、ふるわせる。


その妙なるアンサンブルを見聴きしているうちに
弦の上をさまよう8個の手と40本の指が
蜘蛛の足に見えてしようがなくなってきた。


ときに勇猛に這い回り
ときに静止して獲物をねらう8匹の蜘蛛たち。


たぶん、ぼくの見方は正しくないのだが、
照明を完全にくらくして
彼らの指だけが蛍光色で闇に浮かび上がったら
さぞかしおそろしくて
さぞかし素敵だろう。


見ている最中に
そんなことを考えるのは
きっとどうかしているのだ。


そして
中村まり


男たちの中に
女性が交わると場がはなやいで
普通は“紅一点”とか花が咲いたような表現をするのだが、
彼女の居方はちょっと違った。


中村まり
まるで樹の幹のようにそこにいた。
彼女は歌で
根も生やすし
実も実らす。


雰囲気だましのオーガニックとはまったく違う。


これほどそっけなくて
なのに栄養のある魅力的な歌は
めったに聴けないと思った。