mrbq

なにかあり/とくになし

飯を抜いても見た方がいい

新宿からそれほど遠くない場所に住む身勝手で言わせてもらえば
夜9時から始まるインストア・ライヴは
すごくありがたい。


新宿タワーレコード
インストア・ライヴをやりませんかという話は
ぼくがNRBQのツアーを手伝っていたころにもあったと記憶する。


しかし
当時はインストアについての制限が厳しく
小音量のこじんまりとした編成でならOKという条件で
そのためにわざわざ準備をする時間の余裕もなく
話は立ち消えになった。


だから今日、
本来いろいろな制約の多いはずの場所で
テリー・アダムス・ロックンロール・カルテットが
ロック・バンドのライヴらしい編成と音量で
あれだけの演奏をやってのけたのは
とても痛快だった。


またしても
彼ら(というかテリー)は、
自分が変わらないまま
時代を変えたんだと思う。


もちろん
それは小さな場所での小さな変化だが
そういうものを目撃したという衝撃の種は
確実に蒔かれたのだと信じたい。


彼らの演奏を見るのは
去年の夏以来ほぼ一年ぶりだが
あのときよりもずいぶんとバンドらしくなっていた。


それは普通の集団みたいに
規律がきっちりしていたり
演出が行き届いていたり、ということとは真逆だ。


リーダーであるテリーの気持ちのおもむくままに
音楽はあっちに行ったり
こっちに行ったり、
あたふたとばらばら寸前で
しかしその次の瞬間には
荒波を見事に乗り越える帆船みたいに
スリリングにロールし、スイングしてみせる。


たくさんのスタッフや機材に囲まれて
綿密な準備のもとに行われるライヴが多勢を占める今の世の中にあって、
童話かファンタジーの中にしか存在しないような型破りの豪傑ふうで、
あるいは
まだ結成一週間のアマチュア・バンドみたいな前のめりの姿勢で、
彼らは演奏をする。


ジャズ・スタンダードの「ゴーン・ウィズ・ザ・ウィンド」や
かつてホール・ウィート・ホーンズの一員だった
故・ゲイリー・ウィンドのソロ「ドッグフェイス」に提供した「ガード・デューティ」など
この新しいバンドはジャズもやれますよということを
さらりと見せつけたり、
NRBQのナンバーを若いメンバーに歌わせて
その化学変化を試してみたり。


どう見ても
トム・アルドリーノを若くしたとしか見えないドラマーの
コンラッド・シュークルーン
ガッツにあふれた素晴らしいドラミングを見ていると
わくわくする楽しさと
そこにトムがいないという事実から来る
ちょっと感傷的な気分がごちゃまぜになって
ぼくをおそうこともある。


演奏が終わってぶらぶらしていたコンラッドをつかまえて話をした。
彼は謙虚な口ぶりでこう言った。


「ぼくはトムのことをずっと見上げているよ。
 彼はぼくにとってのお父さんみたいなものだから」


なんというか
そういうひとことで
ずいぶんとひとは救われるものなのだ。


まだどうしようか迷っているひとがいるのなら
テリー・アダムス・ロックンロール・カルテットのライヴは
一日か二日飯を抜いても
見た方がいい。


彼らの音楽が素晴らしいからとかいう当たり前の理由ではなく、
ああいうふうに一生を生きてみたいと思わせる理想が
世界のここにしかないかたちで
息づいているからだ。