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なにかあり/とくになし

スモール・トーク・イン・JR

夜11時前、
山手線外回り列車。


運良くふたり分の席が空いていたので
知人と並んで腰掛けた。


ハイファイ・レコード・ストアでも長いことおつきあいさせていただき、
自分たちの愛するジャズを
愛し方を曲げることなく小粋に(根は頑固に)歌ってきた
黒船レディと銀星楽団が
しばらく長いおやすみに入る前の
最後のライヴを見た帰り道。


黒船レディこと水林史さんと
リリー夫人こと廣田ゆりさんは
今日の公演を最後に
それぞれの道に進む。


素敵な音楽をありがとうございました。


以下、
その電車の中での会話の抄録。
出だしが知人、
敬語で受けてるのがぼく。
ふたりとも少し酔っている。


「素晴らしかったね」
「しゃんとしてましたね」
「今日が特別な日だということを松永くんは知っていたんだね」
「ええ、まあ」
「黒船さんは自分の好きなことだけを音楽でやり抜いたんだよね」
「彼女の訳詞も素晴らしいですよ」
「あの、ニューオリンズの曲に付けた歌詞とか、たまらんよな」
「世が世なら、彼女がジャズに付けた歌詞をもっとたくさんのひとが歌ったかも」
「うーん、そうだねえ」
エノケンとか江利チエミとかに歌わせたかった」
「………」
「つまり、20世紀半ばとかの話で、SFになっちゃいますけど」
「最後のあいさつもメロメロじゃなかったしねえ」
「パートナーのリリー夫人もそうでしたけど、プロ意識がありました」
「あったねえ」
「もっと大きな舞台で脚光を浴びるチャンスもあったでしょうね」
「ぼくも同じことを思った」
「でも、そういうことが運とか不運とかじゃなくて、それぞれの豊かな人生と音楽があって」
「そうなんだよね」


しばらく、
ああだこうだと
今日見たライヴの話をした。


その後、
電車を新宿駅で乗り換えた。


「ところで最近、娘と最近読んだ本の話をよくするんだよ」
「ほおほお」
「で、来年、あるひとの本を作りたいという話をした」
「はあはあ」
「それは絶対に作れ、と娘は言うんだよな」
「はあ、誰の本ですか?」
「(ぶっ、と吹く)松永くんのだよ」
「(ぶっ、と吹く)読むひといませんよ(笑)」
「冗談にするな、本気で言ってるんだ」
「はあ……」
「それに、そんなに売れなくたっていい」
「はあ」
「おれは松永くんが誰か他人について語っているんじゃなくて、自分を書いた本が読みたい」
「はあ」
「確かこういうことを前にもきみに訊いただろ?」
「そんな気がします」
「そのとき、きみは「どっちでもいいですね」と答えた」
「そんな気がします」
「娘にも同じことを訊いてみたんだ」
「はあ」
「そしたら、娘も「どっちでもいいから読みたい」と言った」
「同じことを」
「同じだけど、ちょっと違うね。彼女はそれを読みたいんだから」
「はあ」
「しかしね」
「はあ」
「おれがこんなに真剣に言ってるのに、どうしてそう気のない反応なわけ?(苦笑)」
「は?」
「だいたいおれがこういうことを持ち掛けると、普通はみんな話に乗るんだよ」
「はあ」
「本を作るお金を用意すると言ってるんだから」
「はあ、申し訳ない」
「松永くんは、何故本気にならない?」
「うーん、需要がないんじゃないかと……」
「おれの娘が読むと言ってるんだよ、少なくともおれと娘のふたりは読むんだ」
「はあ、ありがたい話です」
「とにかく、松永くんを本気にさせることが来年の課題なんだ」
「はあ……、もし本を作るとしたらタイトルは」
「どういうのがいいだろうね?」
「……「頑張った証」はどうでしょう?」
「(ぶほっ、とむせる)バカたれ!」
「はあ……、阿佐ヶ谷に着きました」


自分がその気になれるかどうか、
あらためて昨日のやりとりを書いてみた。


黒船レディこと水林史さんが
小さなからだに大きな思いを込めて
自分の好きなことをやり抜いた姿を見て
ちょっと背中を押されたような気が
勝手にしたからかもしれない。


あ、
鬼が高尾山の方で笑ってる。


うっしっしと手を口に当てたその幻は
「みっともないからやめとけ」にも
「やってみれば?」にも見えた。