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なにかあり/とくになし

その8インチは裸だ

出がけに通る旧中杉通り
気になっている貸本屋があった。


と言っても
ぼくが気にしているのは
その店がまだ営業を始める前。


鍵を閉じて
ひっそりとたたずむその店の前の空き棚に
ちょっと前から無造作にアナログレコードが
置かれているのだ。


ご自由にお持ちください、と
看板が掲げてあるわけではないので
覗き見ることに多少の躊躇はあるものの、
パラパラと見たところ
売りものになりそうな内容でもない。


古い歌謡曲やムード音楽のレコードが、
だらしなく
家の前で寝転がっているといった風情。


めったに持ち帰るひともいないのか
レコードの顔ぶれはほとんど変わらないが
ときどき新たなものが補充されていることもある。


そんなときは
そのレコードたちが
この家に住むひとたちの古い日記を
とつとつとひもといて
音楽的な歴史を語っているような気が強くして
何だかたまらない気分になってしまうのだ。


今日、
久しぶりに足を止めてみたら
ジャケットに入っていない
シングル盤が裸で転がっていた。


そのシングル盤、
通常の7インチ(約17センチ)よりも一回り大きい
8インチ盤と呼ばれるものだった。


中身はどうやら
30数年前につくられた
小学生低学年向けの歌の学習用レコード。


この家に住んでいた
ぼくと同世代か、すこし歳上の子どもが
聴いていたものに違いない。


小林亜星作曲の名曲「あわてんぼうのサンタクロース」が
入っていた。


いつも立ち寄っているとは言え、
実際にレコードを欲しいと思ったのは初めてだったので
すこしためらいもあったが、
次の瞬間にはカバンの中にシングル盤を突っ込んでいた。


そして
うしろを振り返らず
早足で駅に歩き出した。
「こら! 金払え!」と声がしたって
絶対に戻らないぞ。


というわけで
今日一日、
ぼくのカバンの中には
裸の8インチ・シングル盤が隠れていた。


すっぽんぽんの美女を
コートでかくまっているかのように
すこし頭がおかしくなるくらい
ぼくはひそかな興奮をしていた。