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なにかあり/とくになし

今週、高円寺の片隅で

今週末の土曜日
高円寺のバー、コネクシオン
おもしろいイベントがあるらしい。


いつぞやおじゃました
創作カレーを食べるイベントとの合体で
友人たちが主宰するDJパーティー


酒の席での駄話だったかもしれないが
そのパーティーの選曲テーマについて
中心人物が以前こう語るのを聞いた。


「自分が十代のころに聴いていて
 他人にはなかなか言えない恥ずかしい曲をかけましょう」


少年時代の宝箱拝見。
他人には石ころにしか見えないかもしれないが
おれにはこれこそお宝だった……なんて
胸をかきむしられるテーマ設定。


まあ実際に誰もがそこまで
青春の生傷をさらけだせるのかはわからないけれど、
カレーに弱いので
仕事帰りにでも立ち寄ってみようと思ってます。


たとえば
もし自分にそういうテーマが与えられたとして
何を選曲するか。


あるいは
少年時代に愛聴していて
今では消し去りたい思い出と
それでも忘れられない愛憎が
せめぎ合うような曲は何か。


考えてみたら
頭に浮かんだソングリストは
ちょっと意外な顔ぶれだった。


少年時代は
自分で「これだ!」と思って買ったレコードには
“ハズレ”が少なくなかった。
むしろラジオやテレビとか街角とか
外から不意に流れ込んできて反応してしまった曲の方が
自分にとっては“当たり”と思うことが多かった。


だが
“ハズレ”だと頭ではわかっていても
身銭を切ったという事実、
あるいは
おれが自分で選んだはずだという根拠のない自信が
我が身に愛着を要求する。


その結果
今、耳に飛び込んできた方の曲に
明らかに好意があるのに
体に染み付いた間違った愛着がその邪魔をする。
かくして
青春は自然とねじ曲がるのだ。


何とかそれを逆転出来ないものかと
笑ったり泣いたり浮いたり沈んだりしながら
ここまでやってきたような気がする。


まあ
間違った青春のおかげで
見える世界があったことにも感謝してますが、とても。


たとえば
小沢健二の「LIFE」が
同世代のぼくに
あれほどまぶしく見えたのは
たぶんそんな自分のリアルライフを
鏡に映して真逆で見せてくれたからだろう。


体に染み付いた人生への愛着が正解だろうと間違いだろうと
今、耳に飛び込んできたばかりの曲に
あえて瞬間最大風速で抱きつくことでチューンアップすればいい。
知識とか経験とかでいちいち正当性を立証するような
まどろっこしさじゃなくて
今それを好きと思えるかどうか。
それでいい。


そして小沢健二
あのとき、瞬間最大風速で
確かにそれを達成した。
それが「LIFE」だったと
今あらためて思った。