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なにかあり/とくになし

いつものように寺尾紗穂を聴く

寺尾紗穂放送禁止歌」は
メジャーの流通での配給を拒否され、
自主流通という限定的なかたちで発売される。


タイトル通り
ラジオやテレビで決して流れることはないだろう。


「アジアの汗」
「家なき人」
そしてカヴァーで
「竹田の子守唄」。
3曲入り。


「アジアの汗」「家なき人」は
同日発売のアルバム「残照」にも収録されるが
そちらはコントロールド・ヴァージョンと銘打たれ
加工がほどこされている。


物議をかもしだしてしまうのかもしれないし
今はもうそんな時代でもないのかもしれない。


正直言って
これが「あり」か「なし」かという
線引きの議論には
ぼくは興味がない。


「アジアの汗」を
積極的に歌うようになったのは
ここ一年くらいのはずだ。


「アジアの汗」と「家なき人」は
寺尾さんが学生時代に
山谷に出向いたときの記録をもとに書かれた曲で
そのとき歌詞だけが出来ていたのか
すでに曲として出来上がっていたのか
彼女がライヴで歌う前に説明したのを聞いたようにも思うのだが
もう忘れた。


それほどまでに
聴いた瞬間の
心のふるえが大きかった。


きっとそれはこれらの歌が
かましい抗議の歌ではなく
デモ隊の放つ声を揃えたメッセージでもない
ひとりの無力な少女の
ただまっすぐでムキな感情がふとつぶやいた声みたいな歌だからだろう。


世界を変えてやろうと気張る
正しいんだけどなんだか横暴な歌ではなく、
世界は変えられないことを知って
それでもひとはなにかを思うし
どこかを見つめるということが
しっかりと語られているからだろう。


寺尾紗穂の歌う
多くのすぐれた作品がそうであるように
放送禁止歌」におさめられた曲は
いろんな時代を通過したポップスのかたちをしていながら
永遠に生まれたての歌でしかない何かをはらんでいる。


そんな音楽に出会える未来は
そう多くは残されていないかもしれないと思う。
だからぼくは寺尾紗穂を聴く。
いつものように聴く。