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なにかあり/とくになし

ワン・マン・ビートルズ その2

「では大きな拍手でお迎えください、
 ミスター・エミット・ローズです!」


男は
よたよたと
壇上に現れた。


黒く
くたびれたスーツを着込んだ
白い熊。


白いひげを大きくたくわえた彼は
映画の中で見るよりも
いっそう老け込んだ印象に見えた。


映画では
90年代半ばに
パワーポップ・コンピレーション「ポップトピア」のイベントに出演し、
メリー・ゴー・ラウンド時代のナンバーを歌う姿も映されていたが、
そこからわずか15年足らずで
ひとの風貌はこうも激変するものなのかと
あらためておどろかされる。


1950年2月生まれのエミット・ローズは
まだ60歳になったばかりのはずだが
ぼくの目の前にいるのは
70歳をとっくに超えた老人であってもおかしくない。


見た目だけがそう思わせているのではない。
かつて自分がレコード・デビューを飾ったバンド、
メリー・ゴー・ラウンドのメンバー2人も登場し、
まぎれもなく自分が主役であるはずのこのイベントで
彼がまとっているムードには
明らかにこの場にいたくなさそうな
つきあいにくい頑固さが濃厚に漂っていた。


映画から感じられた
多少の前向きな気持ちは
すくなくとも目の前の彼からは伝わってこない。


まるで何かに抵抗するかのように
彼はゆっくりと椅子に腰掛けた。
その右手には
紙袋に入った缶飲料があり
さっきからそれをせわしなく口元に運んでいる。


場違いなほど真っ赤になったその顔から
それがビール以上のアルコール濃度を持つ酒であるとわかった。


彼の大ファンである誠実な司会者は
実はぼくの友人でもあった。


このおそろしく気まずいムードの中、
彼はこの場に集ったファンを代表して
この手強い男への公開インタビューと
質疑応答の仕切りをしなくてはならない。


がんばれ。


仕事でインタビューをすることの多い同業者として
また
エミット・ローズの大ファンのひとりとして
なんとかこの場が破綻することなく成り立ってほしいと
祈りにも似た感情で
ぼくの胸はキュルキュルと痛くなった。


生エミットの第一声。


「ドキュメンタリーを撮りたいというオファーがあったとき
 どう答えたか、だって?
 そりゃ『金になる話か?』さ!」


吐き捨てるような笑い声が
せつなくこだました。


「その話は横にいるこいつらに訊いてくれ」
「知らん」
「君(司会者)の名前はなんて言うんだ」


おお
なんとおそろしいはぐらかしの連続。


だが
自分の弱さを
まったく隠せないまま
ヒーローとしてここにいなければいけないという
そのやるせなさは
ある意味で
エミット・ローズの音楽の本質そのものであるとも思える。


映画の中で誰かがこういう意味のことを言っていた。


「確かに彼がひとりでつくり上げた音楽は
 ビートルズ、それもポールの影響が大きいのかもしれない。
 でもポールはスーパースターで
 ぼくらが彼の歌う内容に共感するようなことはあまりないんだ。
 だけどエミットは違った。
 彼の音楽への向かい合い方や
 彼が歌っていることは
 ぼくたちみたいな普通の人間にも
 何かこういう素敵なことが出来るかもしれないと思わせる
 道を開いてくれるものだったんだ」


そのシーンを見ながら
ぼくは泣いてしまった。


こんな場面もあった。


スタジオで新曲をレコーディングしているときに
メンバーとプレイバックを聴きながら
彼はつぶやく。


「ヴォーカルを消してくれ」


みんなは彼のヴォーカルを聴いているのに
主役であるはずの彼自身が
それを聴きたくないと言う。
画面からもみんなのとまどいが伝わってくる。


「消してくれと言ってるだろ!」


そのうちそれは大声になり
エンジニアは仕方なくフェーダーを下げた。


歌は消え
その歌を囲んでいるはずの演奏だけが
うつろに鳴り響いていた。
エミットひとりだけが
「それでいいんだよ」と言わんばかりに
満足そうに主役のいなくなった音に耳を傾けていた。


ごめんなさい。
正直に言うと
ぼくは何度も泣いていました。


エミット・ローズはきっと
ぼくたち誰もが抱えている
やりきれなさや
ぶきっちょな生き方の
おばけになってここにいるのだ。


インタビューに同席した
メリー・ゴー・ラウンドのドラマー、ジョエル・ラーソンによる
「まあ
 エミットは凝り性だし
 新曲のセッションは週末を利用してゆっくりやっているからね。
 年に3〜4曲出来ていけばいいんじゃないかな。
 そのうちもしかしたら新しいレコードなんて話も
 あるかもしれんさ」という
とりあえずの締めのコメントで拍手が起こり、
イベントは首の皮一枚で何とか終了にたどりついた感じだった。


そして
その直後に
店内にアナウンスが流れた。


「では引き続き
 エミット・ローズと
 メリー・ゴー・ラウンドのメンバーのよるサイン会を行います!」


え〜!
エミットのあの雰囲気で
これからサイン会なんて
本当に出来るのか?


つづく。