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なにかあり/とくになし

わたしはしらない

寺尾紗穂インストア・ライヴがはじまったとき
新宿タワーレコードの7F左隅の
ライヴ・スペースには
お客さんは50人くらいはいただろうか。


彼女のレパートリーのなかでも
ひときわ重たさを感じさせる「骨壺」を
うたい終えたあとだった。


「新曲をやります」と言って
彼女がうたいだしたとき
空気が変わった。


彼女の歌を聴きに来た熱心なファンのひとだけでなく
タワーレコード7Fで休日の買物をするひとたちの間でも。


にぎやかな喧噪を
一瞬で凍り付かせて
無邪気なぼくたちの
ゆるんだ日本語感覚を直撃して
頭(こうべ)を垂れさせるような
ものすごい曲。


「アジアの汗」や「家なき人」と
同じモチーフを持ちながら
もっと普遍的で
なおかつダイレクトで、
放送禁止とか
そんな議論どころではない苛烈な現実を
何も包み隠さず彼女は歌にぶちまけた。


これはなんだ。
ゴスペルか。
しいて言えば
神様を主役にしないゴスペル。
こうすれば救われますよという答えはない。
こんな歌を聴かされたら
途方に暮れて
立ち尽くすしかない。


その新曲のタイトルを寺尾さんは
「わたしはしらない」だと告げた。


「私は知らない」と書くのか
「わたしは知らない」なのか
それとも
「わたしはしらない」なのか
それはまだわからないが、
ぼくの頭にはその八文字の日本語が
入れ墨みたいに刻み付けられてしまった。


それでも最後に
この歌を聴いた者が
気を振り絞って顔をあげることが出来るのは
最後のひとことが
この歌にあるからだろう。


それは救いの処方箋でも
共感しやすいなぐさめでもない、
気高くて
孤独で
だけど
おそろしく力強いひとことだった。


「わたしはしらない」を聴くチャンスは
まだこれからもあるだろう。
この歌の最後のひとことを
ぼくが気楽にここに書くのはなんか違うだろう。
彼女のえらんだ言葉を
彼女が歌にしたものを
気持ちを“じか”に感じることが何より大事なことだろう。


この曲が
どこかのだれかの借り物でもなく
彼女が2010年に作り
7月4日の今日歌った新曲なのだという事実に
感謝します。