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なにかあり/とくになし

へそに思う

雷が鳴ると
へそを隠すほうの人間。


人間をそこで分類するのは
どうかしてるかもしれないし
いいおとなになって何だとも思うのだが、
ときどきふと
自分がそっち側の人間なのだと
思うことがある。


この迷信の成り立ちには諸説あるらしいが
そのなかでは
雷が鳴って夕立が降ると
急に気温が下がるので
お腹を隠して冷やさないようにしなさいという
子どもたちへの言い伝えが
ルーツだという説が好きだ。


それでも一時期
へそについての感情が
複雑だった時期もあった。


手塚治虫の「W3」で
宇宙から来たワンダースリーの3人は
あせって地球人の姿を真似たために
へそを造り忘れたという設定があった。


ワンダースリーが大好きだったから
自分のへそも是非なくなってほしいものだと
真剣に思い悩んでいたこともある。


そのころは
雷様が
へそを取ってくれるのなら
どうぞと喜んで差し出したいくらいだったような記憶がある。


外人に
「雷様はへそを取ってしまうのだ」と説明するのは
ひと苦労だった。


「雷の神様は
 人間のへそを集めて何をしようっていうの?」と訊かれて
ぼくも返答に困った。


はて?
どうするの?
ぷにぷにと押して遊ぶの?


ちなみに
英語ではへそのことを
ベリーボタン(bellybutton)ということがある。


おなかのボタンとは
言い得て妙。


ということは
ぼくのへそは深くひっこんでいるから
すでにだれかが押した後なんだろう。


おなかのボタンを押されたことで
今こういう人生を歩んでいるのかもしれない。


でべそのひとも
一回押してみたらどうでしょう。