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なにかあり/とくになし

ルーツ以前のルーツ

“影響以前の影響”、
それはただの“影響”だろうと
またまたお叱りをいただいた。


ならば
ルーツ以前のルーツという言い方ではどうか。


要するに
自分が思ってもいなかったところで
どこかで自分の人生の舵がきられている場面が
あったのではないかと想像するのが
ぼくは好きなのだ。


奇抜な前世を信じるとかじゃなく、
むしろその反対。


自分では気がつかないような自分の本質は
結構そこらへんに転がっている
ありきたりな出来事にも宿っているだろうと確認することで
歴史というか
ひとの営みとのつながりを実感したいのかもしれない。


話はすこし脱線するが
先週のDJのときに
何人かでしていた会話で
こんなのがあった。


「日本にも外国にもあえぎ声の入ったレコードってありますよね?」
「ああ、いわゆる昔のエロレコ」
「エロジャケってのもありますけど、音の方がエロいやつ」
「あれって何のために作られてたんだろう?」
「そりゃあ、雰囲気作りのためでしょ!」
「ああ」
「ビデオデッキとかも全然ない昔の話」
「確かにそうか。恋人たちが気分を高めて」
「別にエロレコじゃなくてもよくて。ムード音楽ってそういう意味もあるし」
バリー・ホワイトとかも、基本はそういう音楽でしょ」
「ああ、好きな曲とかでもいいんですもんね」
「だとすると、今聴いたりかけたりしてる昔のレコードのなかに
 自分を作った音楽があるかもしれない!」
「わー、ありそう!」
「それって、親は覚えてるものなんすかね?」
「覚えてたりするかもよ」
「うわー、訊きたいような訊きたくないような」


酒の席でのフキンシンな駄話ではありますが、
すくなくとも
両親が聴いていた音楽は何か
さらにその上の世代ならどうだったのか
それを考えるのはわるい話じゃない。


「うちの親は音楽全然聴かなくて」とかいう話を
誰かがしているのを聞く機会は多いけど
いやいや結構そうでもなかったかもよ。


自分とは畑違いのはずなのに
わけもなく好きになってしまう音楽に出会うとき
そういうことを考えなくもない今日このごろ。
42歳まであと約一ヶ月。