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なにかあり/とくになし

感激! 偉大なるライノ! その5

mrbq2010-10-26

ロサンゼルスに着いた初日の夜、
ドライバーをしてくれるYさんに頼み込んで
早速ウェストウッドに足を向けた。


想像したより
ずっと控えめな建物の中に入ると
すでに音楽が鳴っていた。


この夜のイベントは
60年代ウェストLA伝説のバンド、
ジー・ミッドナイターズのヴォーカリスト、ウィリー・Gのライヴ。


ライヴがはじまると
カンパと銘打ってひとり5ドルの入場料を払うという仕組み。
ライヴ中も雑然と並ぶ什器におさまったCDやレコードを買うのは自由だ。
天井からは
70年代に販売されていたライノのヴィンテージシャツやトレーナーが
ぶらさがっている。


店内には
かつてのライノ・ストアやレーベルに関わっていたスタッフがいて
彼らは胸に名札をつけていた。


老若交えた10人編成ほどのバンドで
真ん中で気持ちよく歌っている小柄なおじさんがウィリー・G。
見た目は面影があまりないが
大好きな「メイキング・エンズ・ミート」を歌いだすと
まぎれもなくあの声だった。


ひとこと、ひとメロディを歌うたびに
愛くるしく表情を変えるウィリー・Gに
もうぼくの心はメロメロだった。
地元の音楽仲間と先輩後輩たちに囲まれて今なお培われている
しあわせな音楽のポテンシャルを感じる。


音楽メディアやレコード業界は
“第一線”とか“B級”とか“アンダーグラウンド”とか
何かと横線を引いて区別したがる。
あのアーティストはラスト・アルバムを70年代に発表し、
それ以降の足取りはわからないとか、
とかく幻のアーティストを作りたがる。


あるいは
歴史を美しく整地して
はい、あとは何も価値のあるものはここからは生えなかったよと
残されたカタログだけを並べて
つるっとすべすべしているけど
とてもいびつに歪められた歴史観を提示することがそんなに大事かねと
こういう現場に出くわすたびにぼくは思う。


生の現場や
実際の歴史とは
もっとでこぼことしたものだ。


そのでこぼこを教えてくれたのが
ライノが出していたレコードじゃないか。


ライヴの途中、
ウィリー・Gが決して多いとは言えない観客のひとりを指差して
「ヘイ、ゲイリー」と呼びかけた。


背が高くて
レイ・デイヴィスをちょっと酔っぱらわせたような顔立ちのその男、
胸の名札を見ると「GARY」と確かに書いてある。


ひょっとして
伝説的なパンク/パワーポップ・コンピ「D.I.Y.」シリーズを編集した
ゲイリー・スチュワートじゃないのか。
あとで話しかけてみよう。


ゲイリーのかたわらには
レザーのミニスカートにポニーテイルという
ばりばりのシクスティーズ・ルックでキメた
ブロンドの美女。
いや、よく見たらかなりのおばあさん。


ジー・ミッドナイターズの十八番「ダンス天国」で
ライヴが終了したとき、
たまたま近くにいた彼女に声をかけられた。


「どこから来たの?」
「日本から」
「あたしは1965年からジー・ミッドナイターズのダンサーだったのよ」
「へー、すごいじゃないですか!」
「今は腰がわるくて踊れないけどね」


よく見ると
彼女は杖をついていた。
やがて彼女を見つけたウィリー・Gが駆け寄ってきた。
愛しくてたまらないという顔をしていた。
「素晴らしいライヴでした」と
ぼくも興奮してウィリー・Gに話しかけた。


ほら
歴史はやっぱりでこぼこと人間くさいかたちをしてる。


気がついたら
ゲイリーはどこかに行ってしまったみたいで姿が見えない。
まあいいか。
きっとまたここで会えるはずさ。


明日はエミット・ローズのドキュメンタリー映画
ここで上映されることになっている。(つづく)


感激! 偉大なるライノ! その5 松永良平