mrbq

なにかあり/とくになし

感激! 偉大なるライノ! その13

mrbq2010-11-03

ビッグ・ダディのボブとの対面もそこそこに(もったいない!)、
今しも外に出ようとしているゲイリーを追いかけた。


「あのー!
 あなた、ゲイリーさんですよね?
 ゲイリー・スチュワートですよね?」


「そうだけど」


ゲイリーは不意を突かれたようにぼくのほうへ振り返った。


何故この東洋人はおれの名前を知っている?
でもまあ、おれは生まれてからずっとゲイリー・スチュワートなんだものな、
しかたないか……、
とでも心のなかで言っていそうな、
あきらかに人見知りした
そしてちょっととぼけたようなまなざしでぼくを見た。


「ぼくはあなたの仕事の大ファンなんです。
 たとえば、あのパワーポップやパンクを地域でまとめた
 『D.I.Y.』シリーズとか」


彼がきびすを返して逃げてしまわないうちにと
早口でまくしたてると
しばし沈黙があった。


そして
ぷはっと息をもらすと
ゲイリーは感じ入ったように言葉をもらした。


「……マジかよ。
 信じらんねえな。
 昔の仕事をそうやって褒められるのはうれしいもんだが
 とりわけあの『D.I.Y.』はおれにとって大切で
 誇り高い仕事だったからな」


「そうだぜ、ゲイリー、
 お前はすげえことをしてたんだよ」


と、突然横から口を挟んだのは
今さっき入り口から入ってきた長髪のおやじ。
ゲイリーの古い知り合いらしい。


ゲイリーはおやじの合いの手も気にせず
ひとりごとのようにしゃべり続けた。


「ああでも、
 あのシリーズは少なくともあと5枚は出さないと完璧じゃなかった。
 もう一度あれをやり直せたらと後悔もしている。
 けど20年も経つのにあれを褒められるなんて
 こんなにうれしいことはないね」


別に目を赤くしているわけではないけれど
照れながらも正直に
ゲイリーは自分の仕事を評価されたことをよろこんでいた。


マジかよとぼくは思う。
そんな褒め言葉、いくらだって聞いてきたはずだろ。


すくなくともあのころ(80年代末から90年代初頭のこと)、
友人と部屋でライノのCDを聴きながら
「このケン・ペリーやビル・イングロットが
 マスタリングしてる音もすごいけど、
 選曲や解説を書いてるゲイリー・スチュワートも要注意人物だろ」と
ああだこうだぼくたちは言い合っていた。


あなたはとっくにぼくたちのヒーローで
20年も前からそのことを言いたかったんだよ。


CDに収まっているアーティストとはまた違うかたちで
CDを作っているスタッフにもヒーローが存在出来ることを
ぼくたちはライノから学んだ。


ときにはそれは
ヒーローであり
ドクターであり
トリックスターであり
クワイエットな哲学者でもある。


「アンソロジー・オブ・アメリカン・ミュージック」を編んだハリー・スミスは偉大だし、
ナゲッツ」を編んだレニー・ケイがガレージパンクの心を70年代に橋渡しした功績も大きい。
それとおなじように
ライノ・レコード
本当の意味でライノ・レコードと言えたころの
野心と冒険心と好奇心と
とりわけ反逆心に燃えたスタッフを
ぼくはたたえたいのだ。


横からはさっきのおやじが
「ゲイリー、そう言えばこないだのあれさあ」と
話題をそらすような茶々をしきりに入れてくる。
おまえ、いったいおれの味方なの?
それとも、ただラリッてるの?


「とにかく声をかけてくれてありがとう。
 褒めてくれたお礼に今度何か送るよ。
 いつかまた会おう」


ぼくと強く握手を交わすと
ゲイリーは夕闇の迫り始めたウェストウッド通りに去っていこうとした。


「いつかちゃんとインタビューさせてくださいね!」


その問いかけに
ゲイリーは右手を上げただけで
YESともNOとも答えなかったけれど
ぼくはそうしたいと思い続けることにした。


いつかきっと
ライノの歴史をまとめてみようだなんて妄想が
瞬間的にからだのなかを駆け抜けて
まだ暑い夕方なのに
ちょっとぶるっと来た。


オリジナル・ライノの30数年の歴史が
ひとまずの幕を降ろしたはずなのに
なんだか別の幕が上がった気がした初夏の出来事だった。(おわり)


感激! 偉大なるライノ! その13 松永良平