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なにかあり/とくになし

青すぎたハワイ〜トゥー・マッチ・ブルー・ハワイ 予告篇

ツマが古いひきだしを整理していたら
思いがけず
ほうりこんだままになっていた写真が
たくさん出て来た。


結婚する以前どころか
学生時代(一番古いのは高校時代)のものもあり、
冷汗をかきながら
ブツを見た。


果たしてそれは
今でもうずく古い傷跡なのか
それとも
美しくセピア色に彩られた思い出の墓場か。


結論から言うと
大半の写真に対しては
かなり冷静でいられた。
自分がそれなりに一生懸命生きてきた姿じゃないか。
そういうものに対して
変に斜にかまえて
恥ずかしく感じる年齢は
もう通り過ぎたのかもしれない。


とは言え
例外というものもある。


なかでもギクッとしたのは
20代前半にハワイに出かけたときの写真だった。


笹塚の弟(当時は中野在住)と一緒に出かけた旅行で、
その実体は
父親の商売上のつきあいで誘われた旅行に
父が欠場ということで急遽組み込まれたものだった。


このときのハワイ旅行、
もちろん生まれて初めてのハワイ航路で、
兄弟の間で語り継がれるいくつかの爆笑伝説なども生んだ……はずなのだが、
写真が物語っているのは
おどろくべきことに
その真逆だった。


ふたりとも
全然
楽しそうじゃない!


おそらく
父親はともかく
自分たちとは縁がなさそうなひとたち(若い娘さんもいた)に囲まれ
過剰に発動した自意識が
自然な表情をすることを許していなかったからだと思う。


しかし
実はそのとき大学留年が決定していて(親は知らず)
かなり情けない暮らしをしていたぼくだけならまだしも、
普段は屈託のない弟まで
心のねじれたエイティーズかぶれみたいな
アンニュイそのものという顔をしている。


あれはなんだろう?
兄弟で一緒にいると
どちらかの自意識が伝染するのだろうか?


本当は
あのハワイは楽しかった(はずだ)。
ひととは楽しみ方は違ったかもしれないけど。


思い出に
そろそろ穴が空きはじめている年頃だ。
もうはっきり思い出せないことも多い。


せっかくの機会だから
1990年のハワイ行きで
覚えていること
書き残しておきたいことを
松永兄弟の青の時代(青すぎた時代)として
すこし連載にして書き残してみようと思う。


今回のタイトルは
「青すぎたハワイ〜トゥー・マッチ・ブルー・ハワイ」で
どうですか?