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なにかあり/とくになし

青すぎたハワイ〜トゥー・マッチ・ブルー・ハワイ その1

1990年
季節は春をすぎていたと思う。


なにしろ出発が決まったのが急だった。


行き先がハワイと聞いて
若干の戸惑いというか
若さゆえの抵抗感もあったけれど
とにかく行くことになってしまったのだ。


弟は俄然乗り気になっているから
それに気圧されたようなところもあった。
当時つきあっていた彼女にも
あんたらしくないけれど
行ってみれば?
みたいなことを言われたと記憶している。


どこでどう待ち合わせて成田まで行ったのか
それもよく覚えてない。


ぼく、弟、
はじめて会う今回の旅の主催のかた。
ぼくたちの父親にとても世話になったと何度も言ってくれた。
そのほかのメンバーがもやもやとしているのだが
妙齢の女性がおふたり、もしくは三人、
そして弟と同年代の
若いお嬢さんがいた。


そのメンバーが一同に介している写真が
一枚残っている。


なんだか暗い部屋に
所在なげに一同が集まっている。


この部屋の暗さと
ぼくたちの不安気な表情には理由があるのだが
後述するとして先を急ごう。


成田から
どのエアラインに乗ったのか、
それもまるで記憶にない。


前年にニューヨークに行ったのは
ノースウェストだったと覚えているのに、
ひとまかせだと
記憶まで他人に頼ることになるのだ。


夕暮れ近い時間の便に乗り込んで、
いよいよ出発を待った。


待った。
待った。
待った。
うーん、待った。


どういうわけか
ドアも閉まって離陸体制完了にもかかわらず、
飛行機はびくともしない。


満員の機内がざわめいていると
アナウンスがあった。
機材トラブルにつき
すこし時間がかかるとのこと。


それから一時間ほど経っただろうか。


機体がゆっくりと動きはじめた。
修理が完了したので
これから離陸しますとアナウンス。
「うわー」と歓声があがった。


ゆったりと滑走路に向かいながら
弟と顔を見合わせた。


まだ気恥ずかしさはあるけれど
行ってみればわかるものもあるかもね。


観念するかと自己弁護をして
深々とシートに身を沈めた。
煮るなり焼くなりしておくれ。


ところが数分後、
颯爽と離陸するために加速にはいるはずの機体が
思い直したように急停止をした。


なんだなんだ?


このときのアナウンスは覚えている。


「みなさま
 お急ぎのところ大変申し訳ございません。
 ただいま
 夜9時を超えましたので
 条例上、当機は本日離陸することが出来なくなりました」


ええええええええええええ?


というわけで
ぼくたちはまだハワイに
飛び立ってもいない。(つづく)


青すぎたハワイ〜トゥー・マッチ・ブルー・ハワイ その1