mrbq

なにかあり/とくになし

青すぎたハワイ〜トゥー・マッチ・ブルー・ハワイ その7

かたかたと
天井で大きな羽根の扇風機が回っていた。


ワイキキ・ビーチから内陸へ
1時間近く歩いただろうか。


ぼくと弟は
タワーレコードで訊いた中古レコード屋を訪ねて
その店に着いたところだった。
レコード屋と言っても
古本や絵葉書なども扱っていて
カジュアルな骨董の一部として中古レコードを置いてあるという感じだ。


この店で
ボブ・ディランの「ナッシュヴィル・スカイライン」を見つけた。


実は
ぼくはそのことを
今までに何度か書いている。


ハワイになじめずにこんな店まで流れ着いたぼくと
このアルバムでカントリーをやろうとしたが
結局一枚限りで決別したディランを
似たような境遇だと見立て、
「やあ、ご同輩」みたいな感じで
あの満面の笑顔で迎えてくれたという内容のものだ。


自分のなかで
このエピソードはかなりのお気に入りだったから
20代のときも
30代のときにも
ときどき思い返して書いてきたのだ。


だが今、
ぼくにとってその文章は
どうも座り心地のわるいものになっている。


ナッシュヴィルにつまはじかれたディランが
ハワイにつまはじかれたぼくを
やさしく迎え入れてくれた、という
ぼくなりの納得が
どうにも実感として信じられなくなっているのだ。


ハイファイ・レコード・ストアの大江田さんは
ぼくがこの文章を見せた10年ほど前に
「ディランはジョニー・キャッシュを心から敬愛していたし、
 ナッシュヴィルの音楽に違和感を感じていたりはしなかったはずだよ」と指摘した。


ぼくはと言えば
そんな忠告を聞いても
自分の妄想を信じるのに必死だったのだと思う。
あまり真面目に耳を貸していなかった。


今になってみれば
大江田さんの言おうとしていたことがすごくよくわかる。


大江田さんは
単純に音楽的な事実関係を述べたのではなく、
自分でこさえた屁理屈を無理矢理飲み込んで
勝手に納得したそぶりのぼくに対する
違和感を述べていたのだ。


当時のぼく(21世紀になったころ)は
フリーターで
ライター未満の存在で
だれかに認められたくて必死で
事実を自分の妄想のほうにねじ曲げて
安っぽい共感をおびき寄せようとしていた。


もっと言うと
その文章の根幹には
自分の青臭い心情や行動に対する甘やかしが居座っていて、
ディランに対する思いやりも
作品に対する尊敬心も薄かったのではないか。


そうだよ。


あのとき
ナッシュヴィルスカイライン」のジャケットで
にかっと微笑んだディランは
ぼくを受け入れていたのではなく、
「おまえ、ハワイに来たなら、ちゃんとハワイに従え!」と
きついボディブローをくらわせていたのだ。


なぜか気になるレコードというものは
どこかしら自分にとっての鏡みたいなところがあると思うのだが、
あの時期
ぼくは自分にいい顔だけを見せてくれる
魔法の鏡を求めていたのだろう。


本当にいい鏡とは
みっともない顔も
心底うれしい顔も
すべてを正直に映し出してくれるものだ。


その日、
ぼくはほかにも何枚かレコードを買って、
弟もビル・エヴァンスのレコード(タイトルは忘れた)を買って、
汗をふきふきワイキキに戻った。


実家への土産を買ってなかったことを思い出し
ホテルにほど近い場所にあった
オープンエアのショッピングモールに繰り出して
ヤシの木で作ったという触れ込みのサラダボウル・セットを買った。


ひどく安かったので
きっとパチモンだったと思う。
お父さんお母さんごめんなさい。


弟はあれから
あの娘さんとデートぐらいしたんだろうか?
その顛末
聞いた気もするのだがよく覚えていない。


とにかく
こうして
1990年の
ぼくの青すぎたハワイは終わった。(つづく)


あれ?
終わったはずなのに(つづく)とは?


青すぎたハワイ〜トゥー・マッチ・ブルー・ハワイ その7