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なにかあり/とくになし

青すぎたハワイ〜トゥー・マッチ・ブルー・ハワイ その8

トロリーバス
ワイキキ・ビーチの名所
デューク・カハナモク像(サーフィンの神様)の前を通り過ぎ、
カランカランと鐘を鳴らしながら海岸沿いを進み、
やがてホノルル動物園の手前で左折した。


曲がった直後に
目に飛び込んできたホテルに
確かに見覚えがあった。


ああ、
ここだここだ、
大停電が起きたホテルは。


あれはマリオット・ホテルだったのか。


2011年1月、
ついこないだまで
ぼくはワイキキにいた。


一緒にいるのは
ツマとツマの母(義母)と弟(義弟)。
ツマの親孝行旅行に同行したのだ。


1990年に
ぼくは弟と一緒に
はじめてハワイに来た。
そのとき
ハワイになじめない自分を演じて
ろくに観光やリゾート体験をしなかったことは
今まで書いてきた。


そして
2001年にも
実はオアフ島には来ている。
そのときは
ハイファイ・レコード・ストアの買付で
最初から観光は無視して
島のあちこちを回ってレコードを探した。


その後、
ハワイは中古レコード店が続々と姿を消し、
事実上
これが最後のハワイ買付になった。


だから
こうしてベタにハワイを味わうのは
21年目にしてはじめての体験だった。


フラを習っている義母の要望を汲んでの旅行だったので
夕食をビーチでのフラが見えるレストランでとったり、
ハナウマやカイルアといった
ワイキキにくらべれば観光客のはるかにすくないビーチに行ってみたり、
あらためて
ハワイをたしなむことに謙虚になってみた。


その気分は
全然わるくないものだった。
そして
21年前に
どうしても素直になれなかった自分のことを思い出して
何度も心のなかがくすぐったくなった。


義母と義弟は部屋に戻り
ツマとふたりで夜のワイキキに出た。
ツマはちょっと服を見たいからとメイシーズに。
ぼくはふと思い立って
ホテルに戻る前に目を付けておいた場所へと向かった。


道ばたに
つかれた顔をした白髪の男が
ぐったりと腰掛けている。


かたわらにキャンバス台と
彼が描いた何点かの(目が奇妙に大きい)似顔絵がなければ
浮浪者にすら見えかねない。


絵描きでなければ
サイコ(変質者)と言われても仕方なさそうな彼に
ぼくは声をかけた。


「いくらだい?」
「Twenty。ニジュードル」


日本人だと気がついて
彼は日本語で答えた。


すこし酔っていたせいもある。
でも
彼にどうしても
今のぼくを描いてもらいたいと思った。
そうすれば
ようやくハワイにぼくを認めてもらえるような気がしたのだ。


サイコのような雰囲気の絵描きと
いざ面と向かってみると
気のいいおしゃべりで
「どこから来た? 奥さんと一緒か? 新婚か?」などと
いろいろ話しかけてきた。


男は
右手が不自由らしく
その手を力なくぶらぶらとさせていたが、
左手一本と右肩を器用に使って紙を押さえながら
ペンを淡々と走らせた。


ちょっと痩せ気味に描いてほしいと伝えると
彼はからからと笑って
「承知した」と言った。


さっきまでの生気のない表情とは打って変わって
彼はいきいきとした絵描きの顔になっている。
ぼくからは描いている絵は見えないが
道行く観光客(主に日本人)から
「似てる〜」と声があがっていた。


20分ほど座っていただろうか。
そろそろ絵が完成に近づいたようだった。


是非、彼のサインを入れてほしいとお願いしたら
すこし照れながら
左隅に署名をしてくれた。


ぼくを見つけて
こちらに寄ってきたツマが
その絵を見て思わず声をあげた。


「いや〜ん」


それってどっちなの?
いや〜ん、似てる?
いや〜ん、なにこれ?


まあいいさ。
これはぼくが生まれてはじめてお金を払って描いてもらった肖像画


ぼくが
だれかによってハワイに行かされたのではなく
ぼく自身の意志でハワイにいたのだと
胸を張って言える証明書のような一枚の絵。


描いたのは
今はハワイで道ばたの絵描きに身をやつしているが
ひょっとしたら
その才能がいつの日か認められるかもしれない男。


また青臭い妄想を?
いやいや、
未来はだれにもわからんよ。(おわり)



青すぎたハワイ〜トゥー・マッチ・ブルー・ハワイ その8