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なにかあり/とくになし

人間は死にかたは選べないからせめて生きかたは自分で選びたい

ツマのおばあさん、
つまり義理の祖母が
先月亡くなった。


102歳。
特に苦しむ様子もなく
ねむるように亡くなっていたそうだ。


100歳のときは
国から表彰を受けた。


ぼくたちが結婚したときは
89歳だった。


それからしばらくして
足腰や記憶が弱ってしまったものの
口調は確かで、
何年か前にお会いしたときも
ぼくがだれかはわからないご様子だったが
受け答え自体ははきはきとしたもので
とても驚かされた。


思い出はおぼろげになってしまったかもしれないが、
意志も体力もなくして
ただそこにいるというだけの生き方ではなく、
生きているということをきちんと自覚して
亡くなるまで生きたのだと思う。


そんなうらやましい生き方はない。
ぼくの100歳なんて
とうてい想像もつかない。


お葬式が終わって
ツマがもらって帰ってきた形見のひとつに
古い写真があった。


色あせたカラー写真が
品がよくて小さな写真立てに収まっている。


写っているのは
小さな女の子ふたり。
顔を見ると
右側の女の子がツマだとわかる。
左側に立つ同い年くらいの子がどこのだれなのか
彼女も覚えていないという。


その写真は
おばあさんの部屋に
ずっとずっと飾ってあったものだそうだ。


「人間は死にかたは選べないから
 せめて生きかたは自分で選びたい」


東京に戻ってきたツマの言った名言。
忘れないうちに書いておく。