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なにかあり/とくになし

ア・ナショナル・ロード

ア・ナショナル・ロードとは
ああそうか
“国道”のことか。


しばらくジャケットの文字を眺めているうちに思い当たった。


なんのことかというと、
ジオラマシーンという日本人アーティストの手作りCD
「オーケストラ・アロング・ア・ナショナル・ロード」を
聴いているときのこと。
ジオラマシーンとは
ceroのギタリスト、橋本翼くんの
ソロプロジェクトだ。


以前に
ライターの磯部涼さんと打ち上げで立ち話したときに
「とてもいいですよ」と推薦されていたのを
先週末にようやく橋本くん本人から受け取ったのだ。
そして
ざあざあ雨が降る今日、
封を開けて聴いた。


なるほどと思ったのは
ceroの音楽のなかに含まれる
東京武蔵野に暮らす若者の想念というか
リリカルな成分の多くが
ここからも聞こえてきたこと。


それにしても
国道か。


二十三区内に暮らしていると実感しにくいが
ぼくの熊本の実家からそれほど遠くないところにも
国道三号線は通っていた。


今や高速道路にとって代わられて
かつてほどの輝きはないさびしげな国道だけれど、
すくなくとも
ぼくの知っている、あの国道を意識することで
ぼくとジオラマシーンの音楽はつながっている。


つまりそれは
描かれる景色は個人的なものに限定しているのに
逆にひろがりのあるイメージを見せることが
ちゃんと出来ているということなんだろう。


もちろん
世の中に流通するポップスとして
この音楽が完成しているとは全然思わないけど
完成する必要がある音楽だとも思わない。


完成した何かがほいほいつくれるのなら
国道を意味もなく走り抜ける必要もない。


できそこないでじたばたした感情を宿したまま
かたちになろうとしているこの音楽に
ぼくは好感を抱いているのだ。


雨のなか
楽家の訃報をふたつ聞いた。


ひとりは
アメリカきっての黒人セッション・ギタリスト、
コーネル・デュプリー


もうひとりは
作曲家の宇野誠一郎


ムーミン」や「ひょっこりひょうたん島」など
数限りない子ども番組のテーマをつくったこの大作曲家は
先月下旬に亡くなっていたのだが、
遺族(ご自身)の意向なのか
たまたまなのか
ゴールデンウィークが明けるのを待って発表された。


子どもの日を含む連休を
自分の訃報で邪魔したくないという
宇野さんの意向というか
信念の表明ではなかったかと
勝手に解釈したい。


コーネル・デュプリーにはわるいが
ふたつの訃報を並べたとき、
ぼくの心のなかの国道を
向こうから走ってきたメロディは
宇野誠一郎作の超名曲「一休さん」だった。