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なにかあり/とくになし

ぼくのハリウッド・ボウリング その6

しかしだ。


踊ってるひともいれば
帰ってくひともいる。
「わー」と歓声をあげるひともいれば
神妙に腕を組んで
だまって見ているひともいる。


ひろい客席から
アメリカ人の群れを通してYMOを見たとき、
むしろこの
さまざま感こそが正常な反応なのだろうという気がしてきた。


現地に住む日本人ですら
どれが新曲で
どれが名曲なのかすら
よく知らないようなお客さんが
実は大半だったのだから。


ぼくが見たかったのは
あらかじめ盛り上がりが保証され
神格化されたYMOではない
こういうYMOだったのかもしれない。


そういう心境に落ち着いてくると、
アジア的な旋律というか
太洋をはさんだ向こう側にある音階のうねりが
素直にうつくしいものとして
浮かび上がってくる。


条件反射的な歓迎ではなく、
意味のあるしずかさというのか。


そして
少年時代から聴き慣れた名曲群よりも
この日中盤に演奏された
珍しい「SEOUL MUSIC」や
復活後の新曲である「Tokyo Town Page」の
記憶とは切り離されて伝わる新鮮さのほうに
惹かれていった。


そして
後半の
千のナイフ」や「東風」へ至る流れも
今までよりもずっとおおきなものに感じられて
とても素晴らしかった。


彼らがどこまで考え抜いて
この夜の演奏に臨んだのかはわからないけど
舞台と客席、
日本とアメリカという距離感について
YMO
観客論として
ひとつの正解を出してみせていたのだ。


さて。


しかし
コンサートはこれだけでは終わらない。



すでに報道にも出ていたので
ご存じのひとも多いと思うが、
フィナーレを前に
コンサートの
事実上のハイライトを持っていってしまったのは
スペシャルゲストとしてアナウンスされた
オノヨーコ。


YMOにブルースを演奏させ
彼女がスクリームするという
そのあまりにあっけらかんとした女王様ぶりには
だれもがあっけにとられたが、
堂々とした態度には
ただもう、降参しましたと言うしかない。


存在を
見ている者の鼻先にぬっと突きつけるような
脅迫的ですらあるアピールという点において
彼女ほど傑出した演者は
他にはいなかったのだから。


彼女が去った舞台では
最後にYMO
ビートルズの「ハロー・グッバイ」を演奏した。


演奏中に両端から
この日出演した
太鼓が日本舞踊が歌舞伎役者もどきが
バッファロー・ドーター
チボ・マット
ヨーコ・オノが
ぞろぞろと現れて手を振った。


ストイックさを貫いたYMOのステージを
根底からくつがえすような
やけっぱちとも
ほがらかすぎるとも受け取れる
ちょっとダサイ大団円。


しかし
その開きなおったような結末も
不思議と後味はわるくなかったのだ。


まるで
ぼくの大好きな
でも二度と演奏されないはずの
君に、胸キュン。」の代わりを聴けたような気がして。


帰りはTくんと
ロサンゼルス名物
In-N-Outバーガーを食べてホテルに戻った。


おわり。











あ、追伸。


今度は
トルバドールかマッケイブスで
細野晴臣ヴァン・ダイク・パークス見たいものです。


いつの日か。