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なにかあり/とくになし

フリート・フォクシーズを、ここで、今日。その6

夫婦ともどもトイレをあきらめて
結局客席に戻る。


そのあいだに隣の席の修復も完了したのか
よそへ行っていた彼女たちも戻ってきていた。


BGMは
フェアポート・コンヴェンションだったり
ヴァン・モリスンの「アストラル・ウィークス」だったり。
ルーツ見せ過ぎじゃないの? とも思える選曲。
アルバム垂れ流しではなく
どうやらきちんと選曲されたものを流しているようで
これが彼らの趣味であり意図であるということなのだろう。


そして
舞台の上は
着々とかたずけられていた。


ケイヴ・シンガーズが演奏しているときから
すでに奥手にドラムキットなどは置いてあり、
それらは前に出て来ているのだが、
前座のときよりも
さらに空っぽになった印象がある。


だだっぴろい板間のうえに
マイクと楽器がいくつか
ぽつねんと突き刺さっているというような景色。


なんだろう、これは?
なにか見慣れたものが
ないんだよな。


そして
あらためてうしろを振り返って
場内が完璧に満員であることを確認した。


若者もいれば
ぼくと同年輩ぐらいのひとたちもいる。
男女の比率は……
ひょっとしたら女子が多いか。
そういう人気なのか。


フリート・フォクシーズに感じるぼくの不思議は
もちろん
21世紀に歴史の奥の深山からぬっと出て来たような
彼らの存在感にもあるのだけれど、
それを熱狂的に受け入れている
欧米のリスナーたちにもあるのだ。


この音が本当に
あなたたちのルーツなの?
いつの間にあなたたち
そんなに(ぼくらより)詳しくなったの?
そう問いただしたくなるような気持。


過去のすぐれた音楽を受け継ぐという
確固とした信念のかたまりのような音楽でもあり、
その一方で
ふらふらとおぼつかない若さを記したような音でもある。


この音を
彼らがどう受け止めているのか、
ぼくがどう受け止めるのか、
それを知りたくて
わざわざここまで来た。


レコードだけじゃ
youtubeだけじゃ
わかんないだろ、たぶん。


客電が
すっと消えた。


ぞわわーっと
うなるような歓声が
ぼくらのうしろから立ちのぼった。
隣の娘たちも
わめいていた。


いよいよですね。(つづく)