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なにかあり/とくになし

フリート・フォクシーズを、ここで、今日。その7

まっくらになった教会の
奥から光が射すように
舞台が明るくなる。


ふらっと気兼ねない感じで
フリート・フォクシーズは舞台に現れた。
場内の
まるでなんかの宗教劇にでも立ち会っているような熱狂とは
正反対。


セッティングが終わると
みじかくあいさつしたかしないか
それぐらいのタイミングで
一曲目を彼らははじめた。


「ヘルプレスネス・ブルース」のラスト・ナンバー
「グローン・オーシャン(静寂の祈り、という邦題!)」。


エコーを背負った音の粒子が
スモークのように客席を覆っていくのがわかる。


ああこれか。
これが気持いいのか。


教会というロケーションのせいか
ナチュラルなエコーがいささか利きすぎている気もしたけど、
一瞬にして聴く者を酩酊させる力を
確かに彼らは持っていた。


フリート・フォクシーズを初めて聴かせてもらったとき
とっさにぼくが口に出したのは
「これは“山のビーチ・ボーイズ”ですね」だった。


エコー感濃厚なバンドサウンド
重層的で複雑な気配のあるコーラスと
フォーク趣味でありながら
どこか胸を苦しくさせるセンチメンタルな要素が
音や歌のはしばしにあって。


具体的に言えば「ペット・サウンズ」
それも「ヒア・トゥデイ」という曲を
山男のような風体の若者たちが愛でている、
そういう香りがしたのだ。


これはまあ
マニアックな立ち位置のバンドが出て来たなと思った。


ところが
おどろいたのは
彼らが全米はおろかヨーロッパでも
熱狂的に受け入れられているというニュースを聞いたことだった。


ライヴの映像を見ると
お客が大きな声で曲にあわせて歌っている。


この音を
欧米人たちが好きになる、
この音の棲み家が自分のなかにあると彼らが思う、
そういう共同幻想の成り立ちかたが
とても気になった。


だってほら
まず
共同幻想なんて
無理にこしらえようと宣伝するひとたちはいても、
キノコのように自然に生えてくるものなんて
もうとっくにこの世界にないと思ってたから。


人気バンドと
そのファンの熱狂、
それだけでは説明のつかない
なにか。


そりゃなんだ?


バンドは粛々と演奏をつづけ
客席はあいかわらずやかまし喝采に包まれている。(つづく)