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なにかあり/とくになし

今夜 すべてはスーダラに還った

日本晴れとはいかなかったけれど
台風はそれた。


大きな被害が出た地方もあるので
無邪気によろこぶのも違うかもしれないが
中止にならなくてよかった。


サケロックには晴れ運がある。
それはもう認めてもいいだろう。


日比谷野音サケロックが立つのは初めてじゃない。
だが
ワンマンで最初から最後まで
舞台に立ち続けるというのは
イベントや客演とはわけが違う。


夕暮れから宵闇まで
都心のへそのような場所に集ったひとびとや
空気や虫の相手を数時間するということ。
それは
ぼくたちが知ってきた野音の懐かしい思い出を
向こうにまわして対峙し、
あるいは
そんなの知らない世代にとっては
これから積み重ねられる新しい野音の記憶を
特別に保証すべく奮起させられるということでもある。


あらためて感じたのは
野音には生き物のようなところがあるということ。


夕方
まだ明るいうちにライヴは「KAGAYAKI」で始まった。


最初のうちは
野音のエコーはきまぐれに拡散する。
観客の視線が
木々の緑やまわりのお客さんの服やアクション、
周囲を取り囲むビルのあちこちをうろうろするように、
音の焦点もなかなか定まらないのだ。


徐々に暮れだすと
お客さんの意識も
舞台の上の音も
どんどん集中しはじめる。


節電対策とやらで
いつもより暗くそびえるビルのせいもあって
野音の舞台は螢のお尻のように
ぽっかりと夜に浮かび上がった。


前半の
音が散らばったようで
客席とバンドがもうひとつまとまりきらない感じも、
中盤から後半の
星野源マリンバを叩きはじめたあたりから
一団となって転がりはじめたグルーヴも、
どちらもぼくには感慨深かった。
そういう景色を
ぼくは野音で学んできたから。


そして
夏の野音
貴重な数時間を
サケロックが担っているという事実を
ありがたいと思った。


アンコールで
白いスーツを着て
彼らが「スーダラ節」を歌ったとき、
「スイスイスーダラダッタ」のサビだけではなく
Aメロからソラで歌ってしまえるお客さんがいっぱいいた。


とりかえしのつかないことをしでかした。
そのことを
笑いながら切なく嘆く。
ぼくですら生まれていない
遠い昭和に生まれたそのナンセンスが
自分のことのように身にしみているやつらが
21世紀にもこんなにいるのかと思った。


「スーダラ節」という日本ポップス史上に残る名曲が
サケロックのせいで
教科書や宣伝の力も借りずに
ここにいるひとたちのハートに
消しようもないほど濃ゆく根付いてしまったことを
ぼくは知った。


最後の「MUDA」で
飛び跳ねながら「アーアー」と歌うあの子もあの娘も
「アーアー」とがっかりする毎日があっても
「アーアー」と気勢をあげるターザンのように立ち上がり
「アーアー」のあとに続く自分の歌を
きっと好き勝手につくりあげている。


「スーダラ節」から「MUDA」へ。
それは
ぼくがずっと見たかったサケロックの景色のひとつだった。


歌のない音楽で
意味のない言葉で
知らない歌がはっきりと鳴る。


安田謙一さんが
かつて「LIFE CYCLE」のライナーノーツに書き、
名コピーとして採用された
「スーダラの灯を消すな」が
心のネオンサインになって
ピカピカと点滅した。


今夜
すべてはスーダラに還った。