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なにかあり/とくになし

クイズのすじみち

高校生クイズ」を
毎年のように見ていた時期があった。


かつて「高校生クイズ」の九州予選に
参加したことがあるからだろうか。
なんか気になっていた。


もちろん
ぼくが出たときは
ぼくも高校生だった。


ぼくが滅んだ問題は
確か
「新幹線の通る関門トンネル
 のぼりのほうがくだりより長い。○か×か」
というものだった。


「のぼりもくだりも一緒だろ」と
超浅はかな了見で「×」を選んで
ハイ、それまでよ。


ところで
今週
ひさびさに(途中から)見た「高校生クイズ」に
ずいぶん昔とは違うものになったような
妙な違和感を覚えた。


ゲーム的な要素がかなり薄くなり
実力主義
知識主義に
番組が転化しているように見えた。


高校生が
なりふりかまわず
辞書や知識の隅の隅まで突き進んで
クイズに備える姿は
異様とも異色とも映る。


だが、
一万歩くらいゆずって考えれば
高校生の我を忘れた熱中なんて
無謀な恋愛とかとも似たようなもので、
「北欧のエリザベス宮殿」の名前を知ってようが
「紀元前に起きた戦争の名前」をいくつも知ってようが
そのこと自体に意味はない。


好きになったら
相手のどんなささいなことだって知りたくなる。
それが恋愛。


問題は
それを
檻の外から珍種のモンスターのように眺めるような作り方をする
送り手のほうにあると感じた。


もっと不穏なのは
クイズのすじみちにおける
あれやこれやと迂回したり迷ったりしてたどり着く
「すじ」や「みち」が
すっかり省かれてしまっていることだ。


あるのは
ただ一直線に結ばれた
「問題」と「正解」だけ。


たとえば
準決勝一問目で
ノーベル賞物理学者の益川敏英さんから
「ずばり宇宙の広さを数値で求めよ」という
超難問が出題され、
気の遠くなるような数式を経て
4組中2組が正解を果たす。


ところが番組は
「はい、正解でした」のひとことで
さっさと先へ進む。


あれ?
種明かし(宇宙の広さの理由)は
どうでもいいわけ?


それって
彼ら(高校生)がやってることは手品と一緒ってこと?


あんたたち(視聴者)は
高校生のクイズおたくたちの
行き過ぎた知識バトルを
ほけーと見てれば満足なんだし
「宇宙の広さ」なんてどうでもいいでしょ?


ぼくは
その先送り的な省略を
イヤなふうに感じた。


失言で辞めさせられる閣僚が
どうしてそういうことを言ったのか。
言ったことになっているのか、
前後の発言やそこに至る経緯なんかどうでもいいでしょ?


だって
それで「正解」なんだから。


そんなリクツと
おなじような匂いを
感じた。


ざらっと
鳥肌が立った。


「正解」は
ぼくたちの前にエサのように放り投げられる。
クイズでも
社会でも。
それで満足しなさい、と。


それはもしかしたら
もう作り手の問題だけじゃないのかもしれない。


かつて予選で敗退したから言うんじゃないよ。


そんな「高校生クイズ」を
そんな世の中を
ぼくは望んで生きてきたんじゃなかった。