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なにかあり/とくになし

泣いたあの娘

抜け出して
紛れ込んだ。


平賀さち枝の歌を
はじめて生で聴いた。


真昼の
新宿タワーレコード7階の
インストア・ライヴで。


物腰は
ちいさな動物のようにおどおどと見えるし
ギターだって
すごくうまいわけじゃない。


でも
音を立てて
自分の力で歌いだせば
その揺らぎや震えさえも
彼女の音楽の魅力になった。


CD「さっちゃん」にはいっていない新曲も多く、
彼女のなかから
音楽が外にこぼれてきているのが
見ているだけでわかる。


ぽこっ、ぽこっと
音楽がしずかに沸き立つ音がする。


たしか彼女は
東北の高校を出てから上京して
ギターを弾きはじめてから
まだ4年くらいしか経ってないんじゃなかったっけ?


十曲ほどやったころだったろうか。


彼女は
思い出話をはじめた。


岩手に住んでいたころは
自転車で何十分もかけてレンタルCD屋に通っていた。
思い立って東京に
生まれてはじめて一人旅をした。
そして
新宿のタワーレコードに来て
音楽がこんなにたくさん世の中にはあって
大事に扱われているんだということに
自分は感動した。
インディーズの
ちいさなバンドにさえ
推薦ポップがついていた。
その感動に背中を押されて
自分は東京に出て来て
音楽をはじめたのです。
いつかわたしも
新宿タワーレコード
あの大きなポップのひとつに描かれたい。


というような話を
とつとつと。


そして
新宿タワーレコードに捧げる歌ですと言って
「NO MUSIC NO LIFE」という曲を歌いはじめたのだが、
途中で
彼女は感極まって泣きだしてしまったのだ。


今まで
いろんなインストア・ライヴを
この場所で見てきたけれど、
ライヴ中に号泣したミュージシャンを見たのは
はじめてだ。


彼女がした話は
ぼくのような中年のすれっからしからしたら
いたいけというか
純すぎるというか
鼻で笑うというか
美談として自分のなかに置いておくのも
普通だったらためらわれるようなことのはずだ。


だいいち
「NO MUSIC NO LIFE」って曲
タイトルからし
どうかと思う、はずだよ。


でも
そうはならなかった。
心の動きはむしろ逆。
ひどく揺さぶられた。


なんだろうな。


ぼくも田舎者で
高校のときに東京に来て
雑誌を片手に西新宿のレコード屋をまわり
眼をらんらんと輝かせていた。


今、目の前で泣いている彼女と
結局ぼくも
なにひとつ変わらなかったはずなのに
なにを勝手に成長したふりして
えらそうに振り返ったりしてるんだよと
心の胸ぐらをつかまれていたのだろうか。


しばらく泣いたあと
恥ずかしそうに笑いながら
観客やスタッフに謝って、
彼女は
もう一度「NO MUSIC NO LIFE」を歌った。


バカだなあ。
泣けるほどバカだなあ。
それを見て
他人事に思えないおれもバカだなあ。


この日のことは
しばらく忘れられそうもない。