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なにかあり/とくになし

1967年のあいつら

今日が最終上映だった
第7回ブラジル映画祭@ユーロスペースの目玉のひとつ
MPB1967」を見に行った。


若いカエターノや
動くムタンチスが大きなスクリーンで見られて最高!
……というほどの情熱で駆けつけたわけではなく、
今書こうとしている原稿の件で
1966年とか67年にまつわる熱気や混沌を
どんなものでも浴びておきたい心境になっていたからという
ちょっと不純な動機でもあった。


しかし
結論から言えば
この映画は
ブラジル音楽や社会の背景に対して
それほど深い知識を持ち合わせていない者に対しても
じゅうぶんなインパクトを持っていた。


ブラジル音楽の歴史を全体で俯瞰して見るのではなく、
あくまで
1967年に開催された
第3回ブラジル歌謡音楽祭の進行と舞台裏に
焦点をしぼりこんだことで
逆に素人にも飲み込みやすいものになっているのだ。


それはつまり
この題材が
すぐれたドキュメンタリーではなく
ハラハラするドラマになっていたという意味で。


当時はまだ
保守の殿堂のような式典であった歌謡音楽祭のステージに
カエターノ・ヴェローソは決意を持って
エレクトリックなロック・バンドを従えて登場した。


トロピカリズモの
もうひとりの核であった
ジルベルト・ジルも
ムタンチスとともに強烈な演奏をした。


モノクロで
絵も音も粗いことこのうえないが
それが全然ハンデにならないほど
その2シーンには
ツーンと耳から眉間に電気が走るような衝撃があった。


もちろん
エドゥ・ロボや
保守本流の後継と目されていた
シコ・ブアルキとMPB4の歌と演奏も
純粋に素晴らしいものだった。


女性シンガーの歌がもっとあれば
よかったとも思うけど。


それと
歌い手の言動にいちいち反応し
熱烈な歓声も
強烈なブーイングも
激烈なシングアロングも
いっさい手抜かりがない
陶酔した観客たちの表情や
熱気の浮き立ち方もいちいち最高だった。


でも
「結局、勝利者は観客だった」というような常套句は
全然使いたくない。
あくまで音楽が
観客におもねることもなく
音楽それ自体の先鋭的かつ美的なパワーで
あれほどの混乱も感動もつくりだしていたことに
ぼくは単純に興奮した。


あともうひとシーン。


音楽祭の舞台裏では
出演者へのインタビューが行なわれていて
若いインタビュアーは
右手にマイク
左手に煙草を持ち、
ゆらゆらと煙をくゆらせながら
ジルベルト・ジルに
ぶしつけに質問を浴びせていた。


その脇役たちの自然な居ずまいも含めて
未来なんかまだだれにもわかってない
濃厚な“渦中”感が
そこにはあった。


1967年のあいつらに。


あの時代と舞台を振り返って
最初は遠いもののように証言をしていた
現在の“あいつら”(つまり、カエターノたち)も
いつしかその
過去の自分たちのいた渦のなかに
巻き込まれていったように見えた。


頭がじーんと
しびれたまま家に帰った。


いや正確には
道草一軒。
石黒正数外天楼」(KCデラックス)と
大橋裕之シティライツ」1巻(モーニングKC)を買って。