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なにかあり/とくになし

1963年のあいつ

プロレス/格闘技方面で意欲的な仕事をされている
柳澤健さんの本の前で
立ち止まることが多い。


1976年のアントニオ猪木」(読了)
1993年の女子プロレス」(連載中愛読)
「1985年のクラッシュ・ギャルズ」(未読)


この一連の著作は
単に労作というだけでなく
テーマ設定というか
タイトルのつけかたが絶妙だ。


特にこのジャンルに興味がないひとでも
「この年、何があったの? あったんでしょ? 何かが!」と
とりあえず惹き付けられてしまう。


ジャンルの内側にいる訳知りの読者の厳しい攻めにも対応しながら
同時に
外野から飛ぶ無邪気な好奇心も引き受けてしまう。
攻めと受けのバランスが
素晴らしいなと思う。


こういうテーマ設定は
音楽でも可能だろう。


バンドや音楽家
あるいはひとつのムーブメントにおける
“ある一年”。


いろいろあるよねえ。


今なら
ちょうど「CDジャーナル」11月号で
フィル・スペクターについて
湯浅学さん、水上徹さんが書いていた原稿を読んでいたせいか、
「1963年のフィル・スペクター」が気になる。


1963年。


ビートルズ旋風がアメリカを席巻する前年。
アメリカン・ポップス
その良き時代を味わった最後の年。
SUKIYAKI」がビルボードのナンバーワンになった年でもある。


62年の11月
クリスタルズの「ヒーズ・ア・レベル」をナンバーワンにして
ついに大成功を射止めたフィル・スペクター
自らの考える究極のポップスの姿、
いわゆる“ウォール・オブ・サウンド”を
さらに独裁的かつ実験的な精神で推進してゆく。


その成果は
63年10月の
ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」ビルボード2位として実を結んだ。
さらにその勢いを駆って
フィレス・オールスターズ総出演のクリスマス・アルバム
「ア・クリスマス・ギフト・トゥ・ユー・フロム・フィル・スペクター」も
発売が決定した。


その発売日が
11月22日。


そしてその日、
アメリカ大統領ジョン・F・ケネディ
テキサス州ダラスでのパレード中に暗殺された。


アメリカ中が喪に服し、
このしあわせなクリスマス・アルバムは
市場から封殺された。


現在
レコード店で見かける”オリジナル盤”の大半は
翌64年のクリスマス・シーズンに再プレスされたイエロー・ラベル。
ブルー・ラベルの63年盤を見かける機会は
めったにない。
アメリカ中のかなしみが重石になって
63年のクリスマスを押しつぶしてしまったのだ。


そして
その年のクリスマスが明けた12月26日、
キャピトル・レコードは
張りつめた空気がバリーンと割れるようなインパクトで
ビートルズのシングル「抱きしめたい」をリリースした。


暮れてゆく63年、
ハリウッドにそびえるキャピトル・タワー(キャピトル本社ビル)を、
鼻っ柱を時代にへし折られてしまった
スペクターはどんな思いで見つめていたんだろう……。


……なんてストーリーを
時系列を追いながら、
関係者の証言も絡め、
さらにスペクター(獄中)の心境も類推しつつ構成した一冊
「1963年のフィル・スペクター」ってどうでしょう……。


あ、でも
これ、むしろ本より映画の脚本向きな感じがしてきた。
前に
トム・クルーズ
スペクターの伝記を映画化するかも、というウワサもあったし。


スペクター役は
今ならヒュー・ローリー(「Dr. HOUSE」の)とか、いいんじゃない?


そして
死んじまったけど
ロニー・スペクターはあの娘にやってほしかった。


エイミー・ワインハウス……。


あとの配役は
みなさん脳内でご自由に。