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なにかあり/とくになし

新宿、南池袋、63年イギリスの女子たち

仕事を抜け出して新宿へ。
山崎まどか×山内マリコトークをききに。


山崎さんの新刊「女子とニューヨーク」と
監修された「オフィシャル・プレッピー・ハンドブック」の刊行記念で、
その対談の相手が
ここは退屈迎えに来て」の山内マリコ


そりゃみに行くでしょと
勝手に盛り上がって場内に踏み込んでみたら
関係者以外は9割以上が女性という。


なんとなく気圧されつつ
左後方の一番隅に腰掛けた。


ふたりのトーク
とてもおもしろかった。
そもそも足を運ぼうと思ったのは、
山崎さんにはこれまで何度もライナーノーツなどの仕事をお願いしながら
メール以外での直接のごあいさつをしていない非礼があったということと
ここは退屈迎えに来て」をデビュー単行本として出してきた作家
山内マリコ、おまえはだれだ? という興味の2点。


山崎さんと山内さんは
山崎さんが過去に行なってきた
SEX AND THE CITYの文化史」の受講などを通じて
したしい交流がすでにあった。


なので
対談は非常にツーカーにすすんだ。


ありきたりの大都市ガイドや東京論ではなく
むしろ実感をベースとした郊外論であったことが
ぼくにはとても刺激的。
今かんがえている記事(自分が担当する予定の)にとっても
すごくヒントになるものが散りばめられていて
結構あっという間に時間となった。


山内マリコの小説に出てくる女の子たちを
マリン・ガールズのようでもあるし
KE$HAのようでもあると評した山崎まどか
ここは退屈迎えに来て」の装丁を
地方の閉塞みたいなイメージには絶対にしたくなかったと語った山内マリコ


ファストファッション、ファーストフードで
どんどん郊外化する東京、
ビレバン、スタバ、TSUTAYA、チェーン・ストアで
東京に行かずとも済まされるものになっている地方都市。


ここは退屈迎えに来て」が描いているのは
地方出身者にはわかる地元の空虚さだけではなく、
むしろ
都会とか地方とかで二元化されえない
今ぼくたちがいる場所の均質化、凡庸化についての
気高いあがきとその末路への予感をとらえた
やわらかい殺意みたいなものなのだと思う。


仕事に戻る必要があり
結局、山崎さんにごあいさつできずに会場を出た。


夜、
南池袋のミュージック・オルグ
ファンタスタス
藤井洋平 & The Very Sensitive Citizen
ラブリースヌーピーラブ。


はじめて生で見た藤井洋平のライヴに動かされた心については
また日を別にして書く。


おどろいたのは
ほとんど何の情報もない状態で見たガール・バンド、
ラブリースヌーピーラブ。


アンコールの最後に
ヴォーカルの女の子が叩き付けるようにいったセリフ
「美意識が高いけど自分では何も出来ないと思ってる全ての女の子に捧げます」
(内田るんさんのTwitterより引用)が、
昼間みた山崎×山内対談にまつわる
女子たちのさまよえる魂とぼくのなかで勝手に同期して
ドキッとつかまれるものがあった。


帰宅後の風呂で
家に届いていたマイケル・ブラウンの名著(奥田佑士・訳)
ラヴ・ミー・ドゥ! ザ・ビートルズ'63」の新装版を読む。


若くて
むきだしの
ビートルズの発言のおもしろさはもちろんだが、
今日はなぜかビートルズにすべてを捧げることで
最高にしあわせな女の子になろうとする
1963年イギリス実在地方女子たちの
ありのままの描写のほうが
今夜はぐいぐいと胸の奥にくいこんでくる。


また何かとシンクロしそうな気配だ。