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なにかあり/とくになし

もうすこし「8 1/2」のことを

8 1/2」を見ていて
昔見たのとちょっと違うなという感じたことをいくつか。


翻訳が変更になっている。


ぼくが大学生のときに見たのは
故・川喜多和子さんのフランス映画社配給時代に
つけられた字幕(翻訳者は忘れました)。


そのときに何度も何度も見たので
印象的な場面のセリフが
フランス映画社ヴァージョンで刷り込まれてしまっている。


現行で流通しているのは
配給会社が変わってから
あらたにつけられた字幕かなと思う。


と言っても
イタリア語なんかよくわかりませんし、
どちらが原語に忠実な訳かどうかは、ぼくにはてんで不明。


最初に食べて
慣れ親しんでいた卵焼きの味が
「あれ、最近、厨房のひと、新しくなった?」
くらいの、違和感、かもしれない。


でも、気になる、なんか。


ぼくが一番気になるのは
映画のクライマックス直前、
マルチェロ・マストロヤンニ扮する映画監督グイドが
頓挫しかけている新作映画の救いの美神として要求した
美人女優クライディア・カルディナーレ(本人役)と連れ立って
廃墟めいた暗がりを訪れるシーン。


以下
若干うろ覚えの部分もあるが
おおむね合っているはずなので引用する。


映画や女性関係に不安と絶望を抱くグイドに対し
クラウディアは
おなじセリフを3回つづけて投げかける。


旧版ではそこは
「愛の問題ね(×3)」としていたのだが、
新版では
「愛を知らないからよ(×3)」となっている。


比べてみると
旧版ではクライディアは
男の優柔不断に対して
理解を示すようなというか
どこか達観しているようなミステリアスなニュアンスだが、
新版では
むしろ男のふがいなさと酷薄な本質を
はっきり糾弾しているふうに受け取れる。


さらにその後、
グイドに対して彼女が投げかける決定的なひとことにも
大きな違いがある。


旧版は
「なんという詐欺師。私の役はないのね」、
新版は
「貴方って詐欺師ね。私の役はないのね」だ。


この違いも
ぼくにとっては結構重要だ。


要するに
旧版では
どこか神の啓示にも似た
決定的な宣告をする現実離れした神秘的な娘として描かれているのに対し、
新版では
クラウディアはグイドの本質についてよく知りもしない
現代的な若い娘であることをはっきりとセリフで示してしまっている。


夢と現実が入り混じったこの映画で
このセリフをどう訳すかの決断は
実は結構大きい。


これは
原語としての正しさを取るのか
ニュアンスとしての解釈を取るのかの問題でもある。


映画に限らず、
絵画についた日本語題を見るときも
ぼくはそんなことを思うときがある。
たとえば
「着衣のマハ」(これは良い例)とか。


なんとなくの持論だが、
フランス映画社
後者の
ニュアンス重視を選択していたような気がするのだ。


とは言え、
この話、
まだぼくのなかでは決着はついていない。


アヌーク・エーメは
やっぱりかなしいくらいきれいだった。


フランス映画社版を
またもう一度スクリーンで見たい。