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なにかあり/とくになし

10月28日と43歳と「8 1/2」と

誕生日のメッセージを
思いがけないくらいたくさんのひとからいただいた。


43歳になりました。
こんな43歳で。


そんな一日のなかでも
一番びっくりしたメッセージは
目の前のちいさな画面のなかから届いた。


乗り込んだ飛行機は東へ。
風は強い追い風。


映画のラインアップを見ていたら
めずらしくフェリーニの「8 1/2」が入っていた。


学生時代から
映画館、VHS、DVDもふくめ
もう20回近くは見ているが、
最近は
ニュープリント版の上映イベントを見逃したことも含めて
ちゃんと見返す機会がなかった。


長いフライトだし
エミール・クストリッツァの「アンダーグラウンド」に
8 1/2」のエキスをずいぶんと感じてもいたので、
ひさびさにサラギーナのルンバ(劇中の名場面のひとつ)でも見るかと
チャンネルを合わせた。


主人公の映画監督グイド(マルチェロ・マストロヤンニ)が
車のなかに閉じ込められている冒頭のシーンから
どれもかなり克明に覚えている……つもりだったが、
ほどなくして
頭に金だらいが落っこちてきたほどの衝撃を
ぼくは受けることになる。


それは
質問に答えてグイドが
自分の年齢を口にするシーン。


「43歳」


え?
マジで!
グイドさん、43歳だったっけ?


かつては
「妄想癖があり、女癖のわるい中年の映画監督」
ということを表す記号程度にしか
受け止めていなかったその年齢の設定が
突如として
ぼくの実人生にばさっと覆いかぶさってきたのだ。


1924年生まれのマストロヤンニは
63年公開のこの映画撮影時は
まだ実年齢では40歳に達していない。
だが、
彼が演じる主人公グイドは
監督フェリーニの実人生の投影とされていて、
フェリーニ自身は
63年に43歳を迎えている。


そのときまるで
画面のなかから
ぐいっと手が伸びてきて
頭をがしっとひっつかまえられたような気分がした。


その手は
ぼくをなでなでしているようでもあり、
ぐりぐりとこめかみに鈍い痛みを与えるようでもあり。


それと
もうひとつ。


かつては
最後のサーカス的な大団円で
必ず泣いてしまっていたのだが(もちろん今でも)、
今回は
グイドが少年時代の実家での生活をふりかえるシーンで
どうしようもなくホロッと来てしまった。


ものいわぬ影のように生きるおばあさん、
やさしく豊満なおかあさん、
いたずら好きなおねえさん、
そして
くらい寝室に飾られた
目が動く(ように思える)肖像画
秘密の呪文「アサ、ニシ、マサ」……。


イタリアのどこかの田舎町にあった二度と戻らないその風景が、
まるで自分の少年時代の出来事であったかのように
43歳のぼくに襲いかかってきて、
なつかしくて
やさしすぎて
泣けてしかたがなかった。


18歳で上京して
はじめてこの映画を見たときのぼくには
なかった感情だった。


歳をとらなければ、
あるいは、
過去との遠いへだたりを実感し
もうそこには帰れないことを知らなければ生まれない
かなしくて愛おしい感情。


それを
本当の意味での
なつかしさだと言うのかもしれない。


歳をとるのは
わるくない。


あらためまして
ありがとうございます。