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なにかあり/とくになし

マイ・ライフ・アズ・ア・(シリー)・ドッグ その4

ユニットバスの組み立ては
当然ながら建築中の家で行われる。


注文建築というより
明らかに建て売りな気配のする
骨組みがまだむき出しになった
家未満の家に
ぼくたちの車は乗り付けた。


「じゃ始めましょうか」


相変わらず敬語をくずさない若きボス。


荷台を開け放つと
保護カバー(白くて柔らかく薄いウレタンのようなもの)に包まれた部材を見て
率直に思った。


でかいプラモデルだ。


風呂場の壁や天井になる板状のもの、
換気扇カバーのようなもの、
そして
風呂桶らしきもの。


そうか。
ユニットバスって
風呂をつくるだけじゃなく
風呂場という空間そのものを組み立てるものなのか。


さらに意外だったのは
大きさはあるものの
部材が結構軽いということだった。


下手して傷つけてはいけないから
ふたり必要なんだろうけど
重さだけで言えば
ひとりでやれるよね、これ。


今日の仕事は
当たりだ。


ボスの指示を受けながら
慎重にゆっくりと壁や天井を
家のなかに運び込むのが
ぼくの役目だった。


手慣れた手つきで
ボスはさくさくと風呂場を作り上げていく。
いくらプラモデルのようだと言っても
ガスを通じさせる装置の設営など
技術と時間が必要な局面も多々あるようで
そういうときは
ぼくは立って待っているしかない。


比較的淡々と時間は過ぎていった。


やがて昼になったので
ちかくのラーメン屋に入った。
ありがたいことに食事代はおごりだった。


汁まで一気にラーメンをかきこんで
ボスは一服。
軽く煙を吐き出してひとこと。


「松永さん、だっけ。
 なんでこの仕事してるんですか?」


学校を出てレコード屋でずっと働いていたこと。
そこを喧嘩して事実上のクビになったこと。
その後
キャリアがあるからと軽く見積もっていたが、
年齢(30歳)を理由に
多くのレコード店で面接すらしてもらえなかったこと。
「リズム&ペンシル」という雑誌を友人たちと創刊したのはいいが
巨額の借金が残ったこと。
音楽ライターの仕事を細々とはじめたが
去年の年収は6万円だったこと。
ツマもいるし
とにかく今を食いつながなければいけないこと。


「へえ〜」


そのあまりにもシンプルな相づちを
感心と取っていいのか
あきれと見たらいいのか計りかねて
ちょっと気まずい沈黙が流れたあと、
彼は思わぬことを口にした。


「松永さんなら知ってるかもしれないなあ。
 ぼく、ずっと好きなバンドがいるんですよ。
 エレファントカシマシっていうんですけどね」


不意をつかれて
「ヘふ?」みたいな声を出してしまった。


孤高の存在というか
シーンから孤立していたと言ってもいい
デビュー当時のエレカシ
ぼくは追っかけていた。


この当時(1999〜2000年ごろ)は
「今宵の月のように」といったメジャー・ヒットを経て
バンドが新しい展開に入っていた時期だったと思う。


吉祥寺のつぶれたポルノ映画館でやった
三日連続ライヴも見に行ったことあるんですよと彼に言うと
「そんな昔は知らないけど、うれしいなあ」と
素直な笑顔を見せてくれた。


「いつかエレカシを取材してくださいよ」


そう言われて、
いやあまだまだ全然ですと
ぼくは頭をかいた。


ユニットバスの設営は昼過ぎには終わった。


「また松永さんを指名しますから!」


別れ際に彼は言った。
毎日がこんなにラクな仕事になったら素晴らしいなと
ぼくはひそかによろこんだが、
結局それからユニットバスの仕事がまわってくることはなかった。
エレカシの取材もいまだに実現していない。


「ユニットバスはプラモデルのようにつくるのだ」という
あまり役に立たないうんちくだけは
ぼくのなかに今も残っている。(つづく)


マイ・ライフ・アズ・ア・(シリー)・ドッグ その4