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なにかあり/とくになし

「ブラック・カルチャー観察日記」

高山マミ「ブラック・カルチャー観察日記」(P-Vine Books)を
さくっと読み終えた。


話のなかみがいちいち興味深いということもあるけれど、
著者である高山さんの
さばさばとして
リズムのある文体が
読み手であるぼくをどんどん先へと運んでくれたという面も大きい。


文章ひとつひとつを短冊式にして改行し、
段落と段落のスペースを広めに取ったレイアウトには
「ん? すかすか?」と
最初こそ戸惑いもあったが、
高山さんがしゃべるように書く、
あるいは
高山さんとぼくらがしゃべるように読むための呼吸の間なのだと
ぼくは受け取った。


アメリカの黒人に直接の知り合いはいないけど、
ぼくもレコードの買付とかで
年の6分の1くらいはアメリカに滞在している計算になるし、
アメリカの友人の家で過ごす機会もあったりして、
うなずいたり
謎が解けたりする部分もすくなくなかった。


でも
この本がしたいは
“暴き”でも“告発”でもない。


黒人男性と結婚し、
シカゴの黒人ファミリーに入り、
ブラック・カルチャーの真実を目の当たりにしたという驚きや好奇心よりも、
夫やママ、シャロンやキャロルやモリスやランスや、
彼女の周囲で
他人の眼(よそのカルチャー)にどう映ろうがおかまいなしで
自分らしく暮らしている彼らへの親しいまなざしが
読んでいて心地よいのだ。


時代の変化や
異文化のなかで
変わるもの
変わらないものはあっても
人間と人間が顔を突き合わせているからこそ起こる悲喜こもごもは
結局そんなに変わらないという認識が頼もしい。


それは著者である高山さんの
たくましさの反映でもあるんだけど。


アメリカ黒人文化の話のはずなのに
日本人であるぼくたちの姿勢も正してみせる
こんなキラーな警句(↓)も
あちこちに隠れているしね。


「そもそも「軽い」から流行るのだ。いや、軽い部分だけ、流行るのだ。」(188ページより抜粋)


短いセンテンスで造形されるファミリーたちの描写も
ぼくにはいちいち最高だった。
シンプルにキャラクターを切り取る力は
彼女のカメラマンとしての力量でもあるのだろう。


いくつかの愛すべきキャラが本のなかから浮かび上がってきたら、
舞台がシカゴなので
シカゴ・ソウルの偉人たちで
頭に浮かぶ顔を勝手に彼らに当てはめて
あたまの中で映像化させてもらう楽しみもはじめてみた。


このおじさんはマディ・ウォーターズ
このおじさんはカーティス・メイフィールド
この姪っ子はバーバラ・アクリン、
この親戚はダニー・ハサウェイ……。


この脳内映像化、
意外とイケマス。