mrbq

なにかあり/とくになし

(((さらうんど)))ばかり聴いてたら その2

1月8日だった。
下北沢440で行われた
山本精一と鴨田潤のツーマンに
ぼくは出かけていた。


実を言うと
その日のぼくは
あとでライヴのこともよく覚えてないくらい
なんかふわふわした感じだった。


理由は
その前日の7日に
NRBQのトム・アルドリーノの訃報を聞いたばかりだったから。


それでも
7日の夜には高円寺のペンギンハウスで
再結成ジンタを見たし、
翌8日にもお店で仕事をして、
こうして見逃せないライヴにも足を運んだ。


とは言え、
肝心なところの記憶は
穴ぼこだらけになっている。
やっぱり気持ちが
動揺やかなしみで
虫食い状態になってたってことなんだろう。


ところが
不思議なことに
その日の鴨田潤弾き語りで
一曲だけ
すごくはっきりと覚えている曲があった。


それが「サマータイマー」。


(((さらうんど)))では
疾走感のあるサマーソングとして
アルバムの前半でも際立つきらめきを提供しているこの曲だが、
鴨田潤弾き語りヴァージョンでは
かなりどろんとしたものになっていた。


(((さらうんど)))の「サマータイマー」には
夏の時間は永遠に続くように思わされる。


鴨田潤の「サマータイマー」には
夏の時間はすぐに消えゆく儚いものと思わされる。


どちらが正解とかではなく
そのどちらも行き来出来るというか
そのどちらも自分のなかに存在してしまうことが
表現者としての凄みだってことだ。


あの夜
弾き語りされた「サマータイマー」に感じた儚さは
ひとの命の儚さと二重写しになって
ぼくの本心の奥底に
ひそかに取り憑いていたんだと思う。


それが
(((さらうんど)))の「(((さらうんど)))」を
繰り返し繰り返し聴いているうちに
水中から浮上して
「ぶわっ」と息を吐き出すように
ぼくのなかで騒ぎだしたのだ。


なんか
重たいものを
解放してくれるような勢いで!


ぼくにとっては
ふたつの「サマータイマー」は
どちらも忘れられない大事なものだ。


ところであの晩、
深夜に打ち上げの流れで
めったに行かないカラオケに行った。


歌でもうたえば気も晴れるんじゃないかと思って
「しらけちまうぜ」とか
「12月の雨」とか。


同席されたみなさまに
(悪い意味で)忘れられない時間にならなかったことを
心より願っております。(おわり)