震災と言葉
台風が日本に向かっているが
台風より先に
シメキリがきている。
なので早退して原稿……のつもりなのに
阿佐ヶ谷の「書楽」に寄ってしまう。
松島直子「すみれファンファーレ」2巻、
宇仁田ゆみ「ゼッタイドンカン」を買う。
「ユリイカ」のジョン・ケージ号、
表紙写真の自分Tシャツを着るケージがめっぽうかっこよく
しばし見惚れていたのだが、
手は
その横にあった
岩波ブックレットの新刊、
佐伯一麦さんの「震災と言葉」を取っていた。
仙台在住の作家、佐伯一麦さんが
今年の2月に東大でおこなった講演をまとめ
加筆訂正をくわえたものとある。
帰宅後、
風呂のなかで一章くらいでも読むかと持ち込んで
ページをめくりはじめたら
あれよあれよと最後まで
読み切ってしまった。
話し口調のテンポのよさのせいもあるけど
選ばれている言葉にも
じわっとくる穏やかな刺激がある。
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「現在の事態に若い学生が声をあげない、というようなことを聞くのですが、日本がこれから没落していくのだという正当な認識を持った、社会に対する異議申し立てが、初めて生まれるのではないかと僕は期待しています。」(「震災と言葉」51〜52ページにかけて引用)
「悲観的にならざるをえないところから、これでいいのかという問いかけが起こるべきだと思ってます。悲観し続けることにも情熱がいる。「悲観の情熱」というものを持ち続けることが今は大事ではないかと思います」(同書52ページから引用)
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佐伯さんの言葉に
いたずらに相乗りするつもりはないが
このふたつの文章は
ぼくにはすごく響いた。
これから書こうとしている原稿を
思いがけず後押しされたような気がした。
それでも
さすがに風呂上がりは
指も本もふやけてしまったけど。