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なにかあり/とくになし

タイム・アウト・オブ・マインド

高田馬場の中古レコード名店「タイム」が先月末で閉店したという報せを聞いた。昭和38年創業というから、半世紀以上営業していたのだ。初代のオーナーさんは10年ほど前に亡くなったはず。


「タイム」にもっとも通ったのは大学時代。


のちに縁あって高田馬場の西側(“裏馬場”と呼ばれていた)にあるレコード店で働くようになってからは、おなじ駅で毎日乗り降りしていながら、「タイム」を訪れる機会は減った。同業の仁義というか、値段や品揃えを偵察するような気分になってしまうのがなんとなくいやだったのかもしれない。こと「タイム」に関しては。


近年の「タイム」についての事情はよく知らないが、僕の学生時代には「タイム」は店内でレコードが流れていない店だった。いつもラジオが流れていた。「盤質評価に絶対の自信を持っているから、試聴によって盤質のよしあしをたしかめてもらう必要がない」というポリシーがあるのだと風のうわさに聞いたことがある。


その姿勢が本当だったのかどうかは今となってはわからないが、「タイム」の盤質表記が信頼に足るというのは真実だった。


「え? こんなにちゃんと聴けるのに“盤質C”なの?」


そう思ったのは一度や二度ではない。自分のなかで勝手に「タイム」に教わった矜持のひとつだと思っている。


「タイム」で買ったレコードということになるといろいろあるはずだけど、たしかに「タイム」で見て手にしたはずなのになぜか買わなかったレコードのことのほうを思い出す。


乱魔堂のメンバーだった洪栄龍のソロ・アルバム「目ざまし時計」で、1500円くらいだった(1989年ごろの話です)。乱魔堂のことは知っていたので「あ!」と思ったことは間違いないのに、よほどお金がなかったのか、そのときはそのときで別に買いたいレコードがあったのか(そのくせ、何を買ったのかは覚えていない)。


まさに「タイム・アウト・オブ・マインド」。そのままならスティーリー・ダンの曲名か(「ガウチョ」に入ってる)。



だけど、ぼくの気分としては「タイム」と「アウト・オブ・マインド」に分けておきたい。加川良の「アウト・オブ・マインド」は、たしか「タイム」で買ったレコードだからだ。それも今はもう手元にはない。