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なにかあり/とくになし

ぼくのハリウッド・ボウリング その1

イエロー・マジック・オーケストラ
ハリウッド・ボウル公演に行こうと思うんだよねと
LAに住むアメリカ人の知り合いにメールしたら、


「ゴメン、
 その日は忙しくて
 彼らのハリウッド・ボウリングには行けないんだ」


と返事が来た。


ハリウッド・ボウルに出演することを
“ハリウッド・ボウリング”と言うのか。


妙なところで感心した。
もっとも彼の勝手な造語なのかもしれないけど。


夜7時でも
まだ明るいハリウッド・ボウルに
和太鼓が鳴り響いた。


LA在住の日本人や
日本文化に親しみを持つアメリカ人たちで構成された
和太鼓グループによる演奏が始まった。


“BIG IN JAPAN”とサブタイトルがついた
今夜のコンサートが、
単にYMO32年ぶりのアメリカ公演という意義だけでなく
震災後の日本への注目をあらためて呼びかける性格の催しなのだと
あらためて気づかされる。


さらにその流れは
素人すれすれの
歌舞伎舞踊へと続く。


よく見れば
ハリウッド・ボウルの
ビートルズのライヴ盤でも見た
あの半円形の舞台の上から吊り下がっているのは
和風な“ぼんぼり”を模した照明ではないか。


こういう演出は
ある種の日本人の音楽ファンには
受け入れがたいもののはずだ。


どうしてここまで
伝統的すぎる日本をアピールしなくちゃならない?


だって今日出演するのは
YMOだよ?
世界でも有名なはずだったでしょ?
今どき
アメリカをツアーするインディーズのジャパニーズでも
こんな気恥ずかしいことしてないよ?


しかし
言わせてもらえば
それが舞台の大きさというものなのだ。


アメリカ人とそれなりに付き合ってきた実感で言わせてもらえば
人間対人間、
一対一のつきあいなら
国籍も人種もそれほど関係ない。


だけど
ここはアメリカ。
ここはハリウッド・ボウル。
一万人もの人間が
ロサンゼルスのあちこちから集まってくる場所。


そういう場所では
個人のアイデンティティではなく、
もっと大きなイメージを客席に向けて
拡大して投影しなくちゃならない。


太鼓と踊り以外で
イエロー・マジック・オーケストラ
フロント・アクトを務めたのは
バッファロー・ドーター
10年ぶりのパフォーマンスだというチボ・マット


その二組にも
違いがあった。


舞台の上でやっていることは
バッファロー・ドーターのほうが
はるかに高度なんだけど、
自分たちがどこから来た何者なのかを広い客席に伝える力は
チープでプリミティヴなチボ・マットのほうが
ずっと上だったのだ。


つづく。