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なにかあり/とくになし

早売りの無重力

渋谷駅の近辺には、週刊誌(おもにマンガ)の“早売りポイント”がいくつかある。
発売日前日の夜に、立ち売りのスタンドで内緒で販売してしまうわけだ。


さすがにぼくもいい年なので、先を争って読まないと気が済まない、なんてことはあまりなくなったが、
それでも、売っているのが目に付けば、ついつい買ってしまう。


こないだ、こんなことがあった。


ちょっと酔っぱらっての帰り道。
いつもの早売りポイントの前を通りかかった。


およ、「モーニング」の見たことない表紙?


おそらく、シラフであれば、お互いの暗黙の了解のもとに、ストイックに売買を成立させる。
280円を無言で渡して雑誌を受け取り、その場をさっと立ち去るのだ。


それが、その日は頭がどこか飛んでいた。


いつも無言の挨拶を交わしているおじさんに、思わずこう問いかけていたのだ。


「これ、どうして売ってるの?」


おじさんは、不意を突かれて、固まった。
凝固したまま、のけぞったように見えた。
いつも買ってるはずの男に、そんなこと言われても困る。


ややあって、言葉を絞り出すように、答える。


「……え? 売ってるから……」


その瞬間、頭が正気に戻った。
しまった! 言ってはいけないことを言ってしまった!
あちゃー、ぼくの方こそ、一気に赤面してしまった。


そそくさと「モーニング」を受け取り、その場を去ったのである。


それにしても、「何故売ってるの?」「売ってるから」というやりとりって、すごい。
物を書き、インタビュー取材などもする人間としては戦慄である。
「何故これは良いものなのか?」「良いからだ」。
「何故ピラミッドはエジプトにあるのか?」「あるからだ」。
………………。
禅問答じゃないんだから。
Q&Aのブラックホール状態。


あのとき、あの早売りスタンドは、ちょっと無重力になったよな。


お互いに体がふわっと浮いて、足下をすくわれた気分になったのだ。