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なにかあり/とくになし

続・追想 びっくりしたな、もう

びっくりしたな、もう、の話をもうすこし。


彼らを知るひとたちは
真心ブラザーズ」なんてバンドは実在せず、
テレビの企画用に頼まれてつくられたものだと知っていたが、
そこから歴史がどう転んだかは
みなさんご存知の通り。


すごい才能の持ち主だと思っていた「桜井くん」が
急に有名人になってしまったことはいいのだが、
その脚光が
ぼくたち「びっくり」のファンが望んでいたかたちではなかったことが、
若かったぼくには裏切りのようにも思え(無用なやっかみも、あった)、
びっくりしたな、もうのライヴに出かける機会は減っていった。


その後
真心ブラザーズで得た資金を元手にしたのだろうか、
びっくりしたな、もうが
遅ればせながらCDを発売したことはウワサには聞いたが、
結局手に取ることもしなかった。
そのうち
メンバーの卒業や
メジャー・デビューした真心への専念などもあって
びっくりしたな、もうの名前は聞かなくなってしまい、
ぼくには淡い後悔だけが残った。


そのCDが
20年以上の歳月を経て
突如ぼくの目の前に現れたのだ。


仕事の都合は忘れ、
迷わずそれを買った。
全6曲。
曲名こそ忘れていたが
サワリの部分やサビについては
ほとんどの曲を覚えていた。


「素敵な生活」はライヴの一曲目の定番だった。
「花柄模様の赤い夢」は名曲と当時から言われていた。
「ハッピーお茶のんでぐいぐい」は本当はクリスマスソングで
「ハッピーお茶のんでクリスマス」だった。
「エポかお前は」というタイトルだったのか、あの最高の曲は。
この歌詞の垢を煎じて飲ませたい日本人作詞家、
いっぱいいる。


桜井さんは
ギターも歌も当時からとんでもなくうまくて
リズム隊のふたりがついていくのも
大変そうに見える瞬間もすくなくなかった。


たぶん
彼が本当に作りたい音は
実際に出している音をとっくに超えていたのだろうが、
その不自由さえも
創造のひとつとして楽しむような
ヒリヒリしたおもしろさがあった。


当時のライヴでは
カセットを手売りしていて
それが2、3本はあったはずだ(残念ながら手元に見当たらない)。
それを足して
「コンプリート・びっくりしたな、もう」みたいな企画
どこかでやれたらいいのに。


びっくりしたな、もう、は
なくなってしまったが、
真心ブラザーズを見聞きするときは
ぼくは今でもどこか桜井さんびいきであり続けている。


真心ファンからすれば
ぼくみたいなのは
ずっとズレてる存在だろう。
だいいち
びっくりしたな、もうは
桜井さんのwikipediaにも載っていない。
幻にするには
惜しすぎるバンドのひとつだと
この機会に言っておこう。


フリッパーズ・ギター
そろそろ話題を呼び始めていた時代に、
高田馬場を歩きながら
びっくりしたな、もう、をぼくは聴いていた。
そして今は
回り道もしたけど
こういう仕事をしていますと
桜井さんに言いたい気持ちはあるのだが、
まだ取材などで対面させてもらった機会がない。


びっくりしたな、もうと
今、何故か再会したことが
今後を示唆する当たりくじだと勝手に思うことにする。(おわり)