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なにかあり/とくになし

「重版出来!」のこと

松田奈緒子重版出来!」1巻を
都内を文字通りかけずりまわってようやく入手した。


重版出来!」というタイトルだから
重版のかかった二刷を手にするのがただしいだなんて
知り合いにはうそぶいていたけど
無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理(©鴨田潤)!


去年、雑誌「フリースタイル」のベスト漫画ランキング
このマンガを読め! THE BEST MANGA 2012」にも
あやうく選出しかけたくらい(単行本未発売は対象外)
ハートを射抜かれていたんだもの。


我慢できるはずもないのさ。


と言いつつ
「月スピ(月刊スピリッツ)」での連載もちらちらとチェックしていたので
知らない話ばかりではない。


帯の惹句はこう。


「編集者から書店員までのチーム戦!!!
 新米編集者が味わう漫画リアル奮闘記!
 チームで漫画を仕掛ける戦略、矜持、涙、興奮。
 本気の醍醐味、極上の元気をあなたへ贈ります!!」


うん、これ間違ってないです。
土田世紀編集王」から20年後の現代に現れた
あの漫画のエネルギーや情念をただしく引き継ぐ
すばらしい作品です。


でも
ぼくはもうひとことだけ
この漫画の不思議な魅力を言いたい。


それは
松田奈緒子という漫画家が
漫画雑誌と漫画家をめぐるリアルだけでなく
表現をするということに関わる肉体の重要性について
大きなテーマを以て臨んでいる気がするから。


芸術からラクガキまで
創作物は頭のなかで生み出されるもの。
だから受け手はいつだって作家の内面や精神性を重視する。


だが
ときどき思う。
その内面世界を現実の作品として定着させている
作家の肉体の存在について
見落としてしまっていることはないだろうか。


ぼくたちが思いついた素晴らしいアイデアには
常に肉体というそのひと固有のアレンジが加わっているはずだ。


つまり
漫画家がペンを走らせ
何ページかの作品をつくりあげることは
精神的な創作であると同時に
肉体運動でもあるのだ。


そしてその肉体の動きが
独自の流線となり、コマ割となり、物語のリズムになる。


楽家がつくった楽曲だってそう。
それは演奏家や歌い手のからだを通じて
生まれ変わる。


楽譜として完全に完成しているはずのクラシック曲ですら
それは起こる。


そこにポイントを置いてみると
松田奈緒子重版出来!」の主人公、黒沢心が
なぜ、オリンピックも目指せたほどの元女子柔道選手であったかが
とても重要になる。


ただ単に
“元運動選手=超ポジティヴで超元気な彼女が旋風を巻き起こす”
だなんて陳腐な公式を描こうなんて
彼女は思ってもいないはずだ。


彼女が黒木心という特異なキャラクターを通じて
重版出来!」を通じて描きたいのは
たぶんこんなこと。


何かを愛するということは
そのことをひたすらたいせつに考えることだけでなく
愛するもののために自分の手足をからだを
いかに動かすかということ。
理屈をでっちあげるのではなく
頭をからだのように使うということ。


そのシンプルな美学が
今この時代に新鮮にひびく。


だから
ぼくにとっては「重版出来!」は
ただの漫画家漫画ではありえないのだ。


松田奈緒子さんに
いつかインタビューしてみたいなあ。