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なにかあり/とくになし

夢と時間の境目を触れる、たたく/角銅真実インタビュー その3

角銅真実インタビュー、第三回!


大学を卒業した彼女が、いよいよceroに加入したくらいまでの話。
気になってる人も多いエピソードだと思うので、今回もさくっと本編へ。




第一回は、こちら
第二回は、こちら


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──大学の後半あたりから、しばらく音楽をやることについての悩みを感じていたという話でしたよね。それは卒業後も続いていて、「やっぱり音楽が好きだ」と認めたのは最近だったと聞いて、結構びっくりしました。


角銅 卒業して一年くらい経ってからBUN Imaiって大学時代の同期だったパーカッショニストとBUNKAKUっていうユニットを始めたり、ライブのサポートで演奏をしたり、オーケストラのエキストラの仕事とかコンサートとか、音楽は続けていたんです。だけど、本当にすっきり自分のやりたい何かの方法だとか音が少し見えてきたのは、ceroに誘われるちょっと前くらいから、ですね。自分でソロのライヴを始めたり、「正解か、正解じゃないか」ではない部分で自分が「好き!」と信じたものを出していいと徐々に自分自身に許可できるようになってきた。楽器って自分で作ったわけじゃないですよね。自分でスネアは発明してないし、それを自分で演奏することがわたしにはどうしてもしっくりこなかった。だけど、出したい音があって触りたいものがあるなら「やればいい」って自分で思えるようになったんです。





──なにかきっかけはあったんですか?


角銅 ちょうど麦さんに誘ってもらってWWWで一緒にやったころかな(2015年3月17日、アルバム『far/close』リリース・パーティー『Coming of the Light』)。麦さんは昔から結構、横から「もっとやっちまいなよ」ってちょっかい出してくれるんです(笑)




──そうか、あれは角銅さんにとってはちょっとした復帰の舞台でもあったんだ。


角銅 そうですね。そのちょっと前に麦さんのデュオ、Doppelzimmerのサポートも始めてたけど、そこでもわたしは空き缶とかしか叩いてなかった。でも、それを麦さんは「それがいい」って言ってくれて。結構、わたしをのびのびさせてくれた人ですね。


──ちなみに、麦くんとはどうやって知り合ってるんですか?


角銅 知り合ったのは大学を卒業してからですけど、大学生のころに学校の近所の谷中ボッサ(当時は鶯谷。現在は長野県松本市に移転し、「ヤマベボッサ」として営業中)でライヴしているのを見に行って「うわー、この人かっこいいなー」って思ってました。そうこうしてたら一緒にやるようになって、ceroの話がきて、運がいいというか、いい波に恵まれてる気がします。


──なるほど。


角銅 あの日のライヴの後で、ゲストで出てた高城(晶平)さんがピカピカの笑顔でやって来て、「よかったよ! ceroでもマリンバとか叩いてほしい。一緒に音楽やろうぜ!」って言ってくれたんです。なんかそんな感じで音楽に誘われたの、初めてで、すごくうれしかった。だけど、わたしはいわゆる器用な音楽ができないと思っているので、「いわゆるパーカッションとか器用なことはぜんぜんできないけど、それでもよかったらぜひやりたいです」って答えました。でもそう声をかけてくれて本当にうれしかったです。


──そこから、じっさいにオファーが来るまでは1年半くらいありましたよね。


角銅 はい。麦さんから「なんかceroが(角銅さんのこと)言ってたよ」って聞いて(笑)。そのあとカクバリズムから連絡が来て、コンガを叩いてほしいという話でした。わたし、コンガはceroで初めて叩いたんですよ。


──え! そうなの?


角銅 そうなんです。でも「コンガやったことないんですけど……、まあ、がんばったらちょっとは叩けるかもしれないので練習します! やりたいです!」って答えました。


──もうそのころは、楽器に対して抱いていた悩みはかなり吹っ切れていた?


角銅 いや、たとえばコンガにしても、行ったことのないカリブのキューバの木と革からできた楽器とその音楽に対して、長崎で育っていま東京にいる自分が底の底の部分でどう向き合ったらいいかわからないというのはありますね。芯の部分で「おなじことをわたしがなぞってもしょうがないんじゃないか、もっと豊かな方法があるんじゃないか」と思ってしまうんですよ。極端ですけどね(笑)。自分なりの豊かな方法というか、びっくりするような面白い方法があるんじゃないかと。だから、「木でできてて、厚い牛の革が張ってあって、テンションがかかってて、一個とか二個とか三個とかで演奏する、縦に長い楽器」というふうに、コンガのことを一回自分のなかで解体して考えないといけない。わたしは、基本的にはそういう方法しかできないんです。でも、そのときは「いまだったら“コンガ”叩きたい」と思ったんですよね。「楽器うまくなりたい」っていうことも、ceroで初めて思えたかも。


──新サポート・メンバーとして参加して、いきなりツアー(MODERN STEPS TOUR/2016年11月3日〜12月11日)でしたよね。麦くんはいまとはすこし役割は違ったけど一時期サポートで参加していたし、メンバーとは旧知でもある。小田(朋美)さんはソロとしてもDCPRGのメンバーとしても注目の人。だったら、角銅さんもばりばりのプレイヤーなんじゃないかとイメージした人も多かったと思うんです。


角銅 誘われた時点でもうツアーが始まる日にち(2016年11月3日、仙台darwin)も決まってたし、ceroの音楽が好きだったから、とにかくがんばりました。「ここにこんな音あったらいいんかな?」みたいな(笑)




──初日の仙台から演奏のテンションがすごくて、とてもそんな感じには見えなかったけど(笑)


角銅 ceroは音楽の強度がとても強くて、音楽の豊かさプラスみなさんの人間的な豊かさがあるから、わりとどんなことが起っても音楽的に許容しうる、それで豊かに成立する懐の広さみたいなものを感じました。わたしが「このリズムだからこのパターンで」みたいに変に決まりごとを意識しないでも参加できたんです。それで、ツアーしながらのびのびといろいろ試してました。「今日はちょっと違ったなあ」とか「こうしたらうまくいったんだな」みたいな。


──見た人は、そんな感じで角銅さんがやってたとは思ってなかったでしょうけどね(笑)


角銅 そうですか? いや、二人(麦と小田)はすごいんですけどね。


──リズム隊の一角としては、光永(渉)くんとのコンビネーションというのも重要と思うんですけど、一緒にやるにあたってみっちゃんとはどういう話をしました?


角銅 いや、そんなに何も言われなかったし、ツアーの時はそこまで細かい話は、たぶんしてないですね。いつもライヴのときにみっちゃんがニヤッとしたら「これでいいんだ」って思ってます。


──奇しくもおなじ長崎県出身だし、彼も本格的にドラムを始めたのはわりと遅かったとか、かなりおもしろい経歴なんですよね。


角銅 みっちゃんのドラムが私は本当に大好きです。


──一緒にやりやすい?


角銅 やりやすいとかやりにくいとか越えて、もう単純に音と演奏が「好き」という気持ち。やっててすごく楽しいです。ライブで毎回どっかで「amazing!」って思う。みっちゃんは「このジャンルとかこの音楽をやるのにこのサウンドが必要」とか、ドラマーらしい楽器やモノへのこだわりっていうよりも、「スネア一台で、いろんな音楽と向き合う」みたいなところを横で勝手に感じます。いや、楽器のこだわりとかあるんでしょうけど……(笑)。すごくベーシックというか、モノとかを超えてドラムセット以上にドラムセットを感じるというか、身体とか温度とか、パッションがダイレクトに伝わるというか、とても豊かなドラムだと思います。


──バンドでツアーしてあちこち回る、みたいなことも初めての体験でした?


角銅 こんな長いのは初めてです。おなじ曲をおなじメンバーで何回もやるのも初めてです。


──なるほどね。バンドとしては当たり前のことが、角銅さんにそう言われるとすごく不思議なことに思えてくる。


角銅 みんなも楽しんでると思います。


──角銅さんにとって、ceroの音楽はどこがおもしろいですか?


角銅 音楽とはちょっと違う話かもしれないけど、「愛してるよ」って歌うじゃないですか。そこにわたしはびっくりして。ライブでも毎回、タンバリン叩きながら「いま、この人(高城)、“愛してるよ”って言うとるよ! この大勢の人の前で! すご〜」って思って。


──たしかに! 「街の報せ」で(笑)




角銅 わたしも「愛してるよ」はハモるんで、歌いながら「わたしの口もおなじこと言った!」って思うんです(笑)。「大勢に“愛してるよ”っていうメッセージを伝えるような音楽を、わたしもいまやってるんや!」という驚きと喜びですね。それが一番の衝撃だったし、びっくりしたし、好きなところなんです。あんまり音楽でそういうふうにびっくりしたことはない。だって、すごくないですか?


──いい話。


角銅 他にも細かいところでいろいろ好きな部分はあるけど、「愛してるよ」に勝るものはないくらい、あそこが好きです。わたし、音楽を作ったり演奏して外に放つとき、だいたいそれは大きな愛のメッセージであるんですけど、あそこまでダイレクトな態度を持つものに関われたのはすごく幸せだし、うれしいなと思います。わたし、いまいつもceroの曲聴いてますよ。今日も聴いてた。いつも元気をもらってます。


──いま、ハモりの話も出ましたけど、じつはceroにはコーラスとしての参加でもあるじゃないですか。じっさい、去年の12月に出た石若駿くんのソロ・アルバム『Songbook』では、素晴らしい歌声を披露しています。


角銅 えへへ。




──石若くんは藝大の後輩になるんですよね。


角銅 そうです。学年は三つ下です。


──「Asa」「10℃」の2曲に歌と作詞で参加してますけど、すごくびっくりしました。だいいち、いままでいろいろ音楽的な経歴を聞いてきたけど、歌の話いっさい出てきてないでしょ?


角銅 あ、そうか。そうですね。


──歌って、子どもの頃から好きでした?


角銅 はい。別に普通でした。自分の声をカセットで録音して聴いて、「うわ!」って恥ずかしくなるような子でした(笑)。音楽聴いて踊ってるほうが好きでした。


──大学時代も、自分の表現として歌はやっていない?


角銅 学生時代の私の黒歴史として、一瞬やっていたプログレ・バンドのヴォーカルというのがあるんです(笑)。そこで一瞬歌ってたけど、それくらいですね。卒業してからは、BUNKAKUではたまに歌ってたし、自分でも歌の曲を作ってはいたんですよね。


──発声が独特じゃないですか。喉のかたち、口のなかのかたちのまま声が出てきてるようで、すごく特徴的だし、魅力のある歌声だと思います。『Songbook』を聴いた人はみんな「誰これ?」ってなると思う。


角銅 そうですか。いい曲に恵まれました(笑)


──あれは、石若くんから「歌ってよ」と依頼された?


角銅 そうです。ある日、部屋であのメロディを録ったボイスメモが送られてきて、「角さん、これに歌詞をつけて歌ってみてほしい」と言われて。聴いたら「へえ、いい曲だな」と思ったんでやってみました。最初は曲名もぜんぜん違ってたけど、「好きにしていい」って言われたから、あの歌詞とタイトルが結構すぐに思いついて。それをパソコンで石若くんのを流しながら合わせた歌って、そのボイスメモを「できた!」って送り返しました。


──へえ! びっくりしてたでしょ。


角銅 「いい!」って言われました。「わたしも、いいと思う」って返事して(笑)


──ヴォーカリストとしてもすごく興味を持つきっかけになりました。ぼくだけじゃないと思うけど。


角銅 うれしいです。いろんな音を出す中で、声が一番自分の中でのいろんな筋が気持ち良く通る方法だなと結構強く思ったときもあって。


──なるほど。「体の筋が通る音」。発声に無理がぜんぜんないですもんね。


角銅 何も考えずに歌ってます。発声の勉強とかはちょっとしたいですけど。


──そしていよいよ、そんな角銅さんがソロ・アルバム『時間の上に夢が飛んでいる』を作ってるという話を最近聞いた、というこのインタビューの本題に入ります。


角銅 アルバムでは意外に歌ってないですけどね。


──でも、いままでに聞いた音楽人生のエピソードは、ぜんぶアルバムになんらかのかたちで入ってる気がします。


角銅 そうですね。


(つづく)


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もう本日ですが、ceroで角銅真実こちらに出演。



2017.08.11 FRI 東京 | 新木場 STUDIO COAST
cero Presents“Traffic”


【OPEN/START】
13:00 / 14:00


出演
cero / 岡村靖幸 / D.A.N. / 藤井洋平& The VERY Sensitive Citizens Of TOKYO / 古川麦トリオ with strings / KEITA SANO(LIVE SET) / Sauce81(LIVE SET) / SLOWMOTION(DJ MOODMAN、MINODA、Sports-Koide) / Daiki Tsuneta Millennium Parade(DTMP) / Jun Kamoda(LIVE SET) / サモハンキンポー(DJ)


FOOD
Roji(阿佐ヶ谷) / えるえふる(新代田)