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なにかあり/とくになし

100メートル走の未来を考える

陸上競技の100メートル走。
9秒いくつの、
100分の1秒で争われる世界。
それがこの競技の醍醐味だろう。


20XX年、
このやっかいな速さの記録というものが
陸上競技から消えたとする。
つまり、
100メートル走を速さで争ってはいけない。
もしも、そういう規則が出来たとしたら?


以下妄想。


最初、
速さのかわりに、
優劣を競うものは
技術点や芸術点だった。


問われるのはフォームの美しさや独創性。
ある者は最初の一歩から最後の一歩まで
ストライドがミリ単位で同一だったことを評価され優勝した。
ある者は3歩進んで2歩下がる走法で
365歩で100メートルを完走する
リアル「365歩のマーチ」を完結させた。


だが、やがてそうした美的センスに硬直が見られ始めたころ、
陸上界にひとりの革命児が現れた。


その男は、
スタートのピストルが鳴っても走らない。
合図と同時に
その場に美しく直立し、5分間沈黙したのだ。


「走らないことで、彼は100メートルを走った」と
その行為は文学界、芸術界からも絶賛され、
この「沈黙の5分間」をして彼を
「スプリント界のジョン・ケージ」と讃える者も現れた。


だが、その後、
この走法に対し、模倣者が続出。
ついに、あるレースでの走者全員の沈黙が
スタートから236時間47分に及ぶにいたり、
以降、この方法は永遠に禁止された。


さらには、こんな者も現れた。
スタートと同時にバックパックを抱え、競技場を後にした男は
そのまま東を目指し、
すたすたすたすた地球を一周。
やがて、西から戻ってきた彼は
レーンを慎重に避けてゴール地点に到達。
そしてひとこと。
「我、3万9999キロ900メートルを走破せり……(バタッと倒れ込む)」


そう、彼は与えられた100メートルを除いて
地球4万キロを一周してみせること、
つまり「100メートル以外全部走」を達成することで
盲点からの勝利を狙ったのだ。


ただし、この行為にはかなりの年月を要したため、
ゴールしたときに
彼がスタートしたことを覚えている者がいなかった。
その後、このゴールを認めさせるために
数年がかりで裁判が進行中である。


哲学的な領域に進みすぎた反動もあって、
近年は100メートルの格闘技化が進んでいる。


スタートと同時に肉弾戦を挑み、
他の競技者をぶちのめし、
たったひとりの勝者となってゴールに向かうという傾向が
主流となっているのだ。
「100メートル・レーンは四角くてやけに細長いジャングルだ。
 危ぶむなかれ。ゆけばわかるさ!」
と時の王者は語る。


さらに妄想は続くが、
そろそろゴールがよろしいようで……。