mrbq

なにかあり/とくになし

林亭のふたり、おかしなふたり

16時の開演ぎりぎりに着いたら、
運良くステージに向かって左手の一番奥が空いていた。


人影と柱が少し視界をさまたげるけれど、
ハイファイで
いつも上司としての大江田さんと対している身にとっては
ミュージシャン大江田信を見るには
これくらいの距離があった方が
ほどよいのだ。


林亭のふたり、
佐久間順平と大江田信がしゃべるMCが
いちいち可笑しい。


漫才で言えば
佐久間さんがボケで
大江田さんがツッコミという関係なのだが、
大江田さんのツッコミがときに真面目すぎておもしろく
ツッコミでありながらボケになってしまうという
ダブルボケの構図を呈する。


それをひとは“ほがらか”と呼ぶ。


林亭が幸運なのは
この日集まったお客さんたちが
36年前の思い出だけを持ち寄った同窓会のつもりではなく
36年分地続きで種まきされた
いろいろな思いを持って集ったことだ。


高校時代のふたりを知るひとから
今日初めて大江田さんが歌うのを聴いたというひとまで
それぞれの感動が入り交じる光景がある。
それは稀有なことだと思う。


ミュージシャンという意味では
ばりばりのプロフェッショナルの佐久間さんから見て
プレイヤーとしての長いブランクはあったものの
音楽を愛する者として真摯な態度を貫いてきた大江田さんの姿には
どこかでうらやましいものがあった。


一方で
大江田さんからすれば
プロとしての厳しい環境に身を置き、
望むように音を出し、歌をうたうという行為を突き詰めている佐久間さんには
並ならぬ敬意がある。


普通、
そんなふたりが交わるケースは
どうしても師匠と弟子というか
上下の関係になってしまったり、
思い合っていてもうまくいかなかったりする。


しかし
林亭では
何故かそこが対等になってしまう。


佐久間さんは終始とても楽しそうで
ときに大江田さんをあおり、
ときに自分で間違えては
大江田さんがとっさにそれをフォローした。
また大江田さんはときおりジロリとするどく
佐久間さんに目をやる。
それはぼくの頭の中で勝手に
「おれはこれでいいのか?」だったり
「この音をどこに連れてくんだ、おまえ?」だったりに変換された。


ひとりのプロの情熱と
ひとりのアマチュアの敬意が
ひとつの音楽として心地よく結実しているのは
たぶん、友情という魔法のツボがあるからなんだ。


男同士の長い友情なんて
たいてい煮ても焼いても他人には食えないものなのに
このふたりの場合は
かぐわしい香りとなって聴く者を魅了する。


林亭の音楽が
それを可能にする。


ぼくの林亭オールタイム・フェイヴァリットは
何をさしおいても
「わたしが一番きれいだったとき」なのだが
今日はアンコールでやった「神田橋」が
とても素敵だった。


きっと高校時代に
神田橋あたりを実際にうろついていた若いふたりの姿が
まぶたの裏に見えてしまったからだろう。


以上!