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なにかあり/とくになし

ワン・マン・ビートルズ その5

「東京から来ました。サインをください」


ついに訪れたエミット・ローズとの対面。


酒臭い息を
うっそうと茂る口ヒゲの間から絶え間なく吐き出しながら
彼はぼくをしげしげと見つめた(ように思えた)。


ぼくの勘違いでなければ
一瞬だけだが
彼のうつろな目に
無性にさびしくてせつない本音の光が灯った(ようにも思えた)。


それは
この場に彼の音楽を好きな日本人がいたということに対する
思いがけない事実に本心が動いた
ナイーヴな反応だったのかもしれない。
そう祈りたい。


広いカリフォルニアで
車も持たず
電話にもめったに出ず
ネット社会による世界の広がりとは当然のように無縁の
貧しいくるしいさびしい生活を
何十年も続けてきたエミット・ローズの
長い間眠り続けた音楽脳に
ぼくという異人種の存在が
小石のように
コトリと音を立てたのだと思いたい。


都合の良い解釈で自分を鼓舞し、
ぼくはあらためて勇敢に切り出した。


「これにサインをください」


そう言って
メリー・ゴー・ラウンドのLPを差し出す。


残念ながら
それを受け取るときには、
彼の目はもうさっきまでと同じ
うらぶれたよっぱらいの元ヒーローに戻っていた。


眼鏡越しにジャケを見て
おどけた感じで言う。


「ふふーん、
 おまえはこれにサインをしてほしいんだな」


低くて
酒焼けした声だ。
心はここにはないかもしれないが
エミット・ローズが今ぼくに話しかけている。


「なあ、
 おまえ、どこから来たって言ったっけ?」


「東京です」
あわてて答えた。


「“フロム・トーキョー”って書いてやろうか?
 それとも“トゥ・トーキョー”って書いてほしいか?」


……へ?


質問の意味がつかめず
目が点になる。
ジョークか?
笑うところか、ここは?
そんなことはおかまいなしに
エミットは勝手に自分でオチをつけた。


「ノー。
 おれはどこにも行かない。
 おれはエミット・ローズでしかないんだ(I'm Just Emitt Rhodes)」


そして
ジャケの隅っこに
「Emitt Rhodes」とだけ
小さくサインを書き付けた。


すこしもスターらしくない
宅急便の受け取りか
借金の証文を書くようなサイン。


瞬間的に
ぼくの頭の中で
さっきまで見ていた映画に描かれた
彼の人生を覆ってきた幸福が栄光が挫折が孤独が
猛烈にフラッシュバックして
バチバチと火花を散らしながら
「Emitt Rhodes」と鮮やかにネオンサインを描き
徐々に光を失いながら縮みはじめ
目の前に書き残された小さな小さなサインに収まっていった。


若干17歳で
A&Mとメリー・ゴー・ラウンドのリーダーとしてかわした
前途有望な契約書のサイン。
20歳のとき
彼がダンヒル・レコードとかわした
3年間で6枚のスタジオ・アルバムを制作するという
無謀だが自信に満ちあふれた契約のために書いたサイン。
そして
自宅スタジオでのひとり多重録音に固執
一枚あたり一年の製作期間を要したがために
結局その半分の枚数しか履行しなかったという理由で
一方的に契約を打ち切られたときの屈辱的な了承のサイン。
若くして2度の結婚をして
それぞれに子どもをもうけ
しかしそのどちらとも短い期間で破綻し
子どもたちとの縁を永遠に断ち切られた
離婚のためのサイン。
そしてぼくの目の前にあるサイン……。


順番を待つ次のファンが
向こう側からエミットに声をかけ、
彼は顔をそっちに向けようとした。


「エミット!」


ぼく自身もびっくりするくらい大きな声が出た。
だが、その次に言うべきセリフは
言葉にならない。


何様なんだ、おれは。
「がんばってください」とか
「良い音楽をこれからも作ってください」とか
それとも気安く「また連絡を」とか
どの面を提げてそんなことを言うつもりなんだ、おれは。


ぼくに出来たのは
ただ黙って右手を前に差し出すことだけだった。


エミットは
すこし躊躇して
それでも照れくさそうに
右手を差し出してくれた。


ぼくは
エミット・ローズと握手しながら、
泣くのをこらえた。


そのとき彼は
もう一回だけ
あのせつなくてさびしい
彼の本当の心を映し出した目をした(ように思えた、思ったっていいだろ)。


そのまま
ぼくはサイン会の喧噪から離れた。


エミットは相変わらず不自然に揺れながら、
ときおり中腰でテーブルに向かいつつも絶対に着席せず、
不器用な態度のままサイン会を続けていた。


だって彼はエミット・ローズ。
明日からまた
生まれ育った街ホーソン
しがない毎日に
しずかに戻っていくだろう。


そのうすぐらい日々の先から
すこしでもいいから
ちいさくてもいいから
ゆっくりでもいいから
彼の作る新しい音楽が
聞こえてくるように
ぼくは祈った。


彼のサインは
次は新しいレコードのために書かれる
誇らしいものであってほしいと
心から願った。


かつて
ワン・マン・ビートルズと呼ばれた男
エミット・ローズと
ぼくは
こうして出会って
こうして別れた。


表に出ると
昼間の長い初夏の南カリフォルニア
夜8時になろうとしていたが
まだ暮れきってはいなかった。


おわり。



【追記】
エミット・ローズのドキュメンタリー映画
「ワン・マン・ビートルズ」は
2009年にイタリア人スタッフによって制作された作品で
オリジナル版はイタリア語のナレーションに
英語のセリフにはイタリア語字幕が付くというスタイルだった。


それが今年、
カナダのトロントで開催される
インディペンデント映画祭に出品されることが決まり、
英語ナレーション版があらためて制作され、
ぼくが居合わせたのはそのアメリカでの初公開イベントだったのだ。


アメリカでも
小さな映画祭からのオファーが一本届いている以外は
DVD化も含めて
まだ展開が何も決まっていない状態だそうだ。


マニアックな素材を使って
マニアックな連中が作っている作品だけに
一般的にアピールするのは難しいかもしれない。


でも
この作品には
才能あるひとたちはもちろん、
ぼくたち一般的な人間ですら、
真剣にものを作るということと
生きやすく生きるということの両方と
どうしてうまく付き合えないのかを考える上で
決して避けては通れない
何かが映し出されているんだと思う。


何らかのかたちで
日本で上映の機会を持つことが果たして可能なのか
ぼくにはまだわからない。


でもそのことを
しばらくまじめに考えてみようと思っている。


理由は
この映画「ワン・マン・ビートルズ」を
ぼくが見てしまったからだ。