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なにかあり/とくになし

さんばし

星野源のアルバム「ばかのうた」にある
もうひとつ気にかかる言葉。


それは
“さんばし”。


さんばし、すなわち、桟橋。
星野源が歌詞を書き
細野晴臣が曲をつけた曲「ただいま」
その最初のひとことが、桟橋。


「出稼ぎから帰ってきたお父さんの歌」だと
星野は自曲解説で書いているけど
吉幾三ならまだしも
またしても現代J-POPとは無縁のテーマと言うしかない。


とは言え、
普遍的な出来事から生まれる
普遍的な感情をうたっていても
対象と近くなりすぎてべたべたしないというか
不思議な距離感が
星野源のオリジナリティなので
演歌にはならない。


でも
“桟橋”という言葉の置き場が
何だか唐突というか作為的に思えて
最初に聴いた瞬間はしっくりとこなかった。


「くせのうた」を
青山のCAYではじめて聴いた晩に
このアルバムは
星野源的な素直を
追究するものになるかもと思ったからというのも理由のひとつ。


ところが
この曲は
細野晴臣のメロディという
おどろくべき援軍を得て
思いがけずドラマチックな反転を見せる。


あやうく口から浮いてしまいそうな“桟橋”と
でまかせに終わりそうな出稼ぎから帰るお父さんの物語を
星野源に抱きとめさせるために
細野さんはわざと声を張り上げさせるラインを組んだ(ような気がする)。


ぼくのいないふるさとに
帰しておくれという意味の
英語で書かれたサビのメロディは
それほど感動的に響いた。


たとえば
昔のアメリカのラジオで流れる音楽や
アメリカ南部に根付くカントリーやリズム&ブルースを
縁もゆかりもない日本人が何故愛おしく思うのか、
その愛し方の根底にあるはずの
見知らぬ歌にある物語の抱きとめ方をメロディにして
星野源に差し出したように思えた。


間違っているかもしれないが
それって
父の教えな感じだ。


その結果、
しゃべるように歌ってしまう星野源
ムキになって声を張り上げざるをえなくなった。
そして
そのときにほとばしる感情が
この曲の大切さになった。


出稼ぎから桟橋に帰るお父さんの物語は
実は
それを桟橋で心待ちにしていた子どもの気持ちで
歌われているともぼくは思った。


それを可能にしたのは
この歌詞に対するこのメロディという返事のおかげかもしれない。
その返事に
「おーい」ともう一度返事をしたくなったからかもしれない。


作詞と作曲という形式の
父子の会話みたいな曲だ。
本当に。


「ただいま」は
このアルバムの
かけがえのない収穫だと思う。


「ばかのうた」を聴きながら その3