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なにかあり/とくになし

秋の虫がふたたび

漫画涸れ。


いくつか気になっている作品はあるけれど
原稿のシメキリが急に重なったこともあって
あんまり新しい漫画を
落ち着いて読んでもいられないという事情もある。


そのかわり電車移動中にぱらぱらと読んでいるのは
高平哲郎今夜は最高な日々」(新潮社)。


ぼくたちの感受性に
大きな影響を与えた80年代のテレビ番組のひとつ
「今夜は最高」の裏話というだけで興味深い。


著者である高平さんの姿勢ははっきりしていて、
ここに書かれているのは
なつかしい自慢話でも
過去から現代を見ての批評でもない。


構成作家として業界の渦中にいるということでの
多忙さに追われる目まぐるしい日々が
ともすれば忘れさせてしまうつぶさな事実や心境、
埋もれた番組やイベントの様相などを掘り起こし、
記憶の細部にある人間たちの交錯を交通整理して
テレビ史という大きな俯瞰図に
きちんと収まっても恥ずかしくないかたちをつくり
次の世代に伝えようとしているのだと思う。


だから
淡々としたエッセイのかたちを借りながらも
リアルタイムのドキュメンタリーを読んでいるような
ハラハラやドキドキがある。


それって“当事者”という存在の
一番良質なかたちなのかもしれない。


今読んでいるのは
一旦中断した「今夜は最高」の放送が
ふたたび始まったところ。


電車を降りると
家まで歩く。


暑すぎたこの夏は
バスに頼ることが多かったから、
大きく手を振って夜道を歩けるようになったのはありがたい。


そして
闇の向こうには秋の虫が戻ってきた。


実は
8月の頭に
やつらはすでにいた。


あのとき一瞬、
秋の気配はそこまで来ていた。
それがなかば強引に
熱気に押し戻されて
なりをひそめていたのだ。


大通りを曲がって
人通りのすくない小道に入ると
虫たちの主張はいちだんと大きくなる。


虫にくわしくないので
よくわからないのだが、
たぶん
今鳴いているきみたちは
8月頭の夜に鳴いてた虫とは一緒じゃないよね。


ひょっとして
あれはきみたちのおやじさんやおかあさんで
残酷な夏のだまし討ちにあって
不運にも短い一生を終えてしまったんじゃないか。


そして
彼らの息子や娘である
その仇討ちを今しようとして
ひときわ大きな声で鳴いてるんじゃないか。


それくらい
今鳴いている虫の声は
大きく思える。


思わず
iPhoneを取り出して
ボイスメモに数分間
虫の声を記録していた。


そのうち何かに使うつもりだろうか。
どうなんだい、おれ。